BLOG店主日記

最近のあれこれ

近況といえば、まず、入院ですね。6年ぶり人生2度目。

今回は病室とトイレとお風呂以外、どこも出歩けないのが、きつすぎる。

前回は自由に動けたので、1ヶ月の入院でもなんとかできた。

今回はどれくらいになるかわからないけど、やばい感じがする。今日で3日目だけど、しんどい。

お店をお休みして、皆様すみません。なるべくはやく帰りたいと思っています。

やっぱり1mgとはいえ、プレドニンを飲み続けていると基本免疫が落ちてると実感する。困ったものだ。とりあえず溶血はしていなそうなので、それはよかった。

療養の友としては、『地図と拳』、『鉄鼠の檻』、ドラマ〈戦争〉シリーズ、『書楼弔堂 破暁』など。超魔神英雄伝をみたいけど、サブスクするのをためらっている。

そして目下はShopify のコードを編集している。 商品をカテゴリ別に一覧でみれるのだけど、そこにはfilter と sortという機能がある。フィルタは金額の範囲指定、ソートは並び替え。このソートのアルファベット順(昇/降)を非表示にしたいのだが、苦戦している。

眠いからか、へんな文章だ。

冷泉為恭

2023年、あけましておめでとうございます。離岸がオープンして早7ヶ月、色々な出会いがありました。ギャラリーをやっていて楽しいのは、作品ももちろん好きですが、お客様とお話するのが楽しいのだと気づきました。というわけで本年も離岸にお越しいただけますと嬉しいです。

さて、新年、掛け軸は子の日の遊び、松の根曳きのものを飾っています。作はタイトルにもある冷泉為恭(れいぜんためちか)。

主題となっている子の日というのは十干と十二支を組み合わせた六十干支で表される日付のなかで、新年最初の子の日のことです。です、とかさも当然知っているかのように書いていますが、当然調べながら書いています。茶の湯は本当に日本の文化の宝庫というか、色々知らないことがわんさか次から次へと出てくるので、大変です。離岸を始めてから初めて知ることばかりです。

で、子の日、2023年でいうと、1/6が甲子で最初の子の日ぽいです。つまりこれを書いている今からすると、明日ですが、明日松林に行き、赤ちゃん松を引っこ抜いて、その根の大きさ、長さなどで占う遊びが子の日の遊び、松の根曳きです。転じて、根っこ付きの松は縁起物とされるようになったようです。

松の根っこを引っこ抜いて何が楽しいのか、いや、実際にやってみたらそれなりに楽しいのかもしれません。とにかく平安時代の貴族の遊びとは、かくも高雅なものであったかと、感嘆の念を禁じえません(庶民もしていたという説もあり?)。

そんなことを昔の人々がしていたのは、娯楽が今に比べて圧倒的に少なかったから、、というより、人間と自然の関係性が、今とはだいぶ異なっていたからだと推察します。丸谷才一の『後鳥羽院』という本がありますが、その中で考察されていることとはなんとなく、松の根曳きという遊びの中に当時の人々が見出していた感覚を類推するヒントがあるように、今ふと思いました。どういうものか、うまく言えませんが。

そして本題である冷泉為恭のことですが、冷泉家というのは平安末期から続く公家の家系です。今も宮中と並んで歌会をするなど、貴族文化を継承するご由緒あるお家柄です。しかしこの冷泉為恭は、なんと冷泉家の人ではありません。つまり貴族でもなんでもありません。自分で勝手に冷泉と名乗っているだけです。何故なのか。

もうだいたいウィキペディアの知識になりますが、冷泉為恭は1823年、狩野派の絵師の家に生まれました。親は狂言師になってほしかったようですが、為恭は復興大和絵師を志します。

大和絵というのは典型的には源氏物語絵巻などの絵ですね。日本が大陸の影響を脱して、独自の文化を形成していく時代に、絵画でも日本独自の美意識に基づく様式が生まれ、そのため自負をこめて「大和」と冠したのでしょう(当時は様式ではなく題材による区別だったようですが)。そして復興大和絵というのは、近世において、平安・鎌倉時代の大和絵の復興を目指すものです。

為恭の頃、大和絵には土佐派など伝統的な絵師がいましたが、形式的になっていて、つまらない絵だったようです。つまりそれは本当の「やまと心」を表現したものではなく、まがいものだと意識されていたのでしょう。そのような状況を憂えた絵師に田中訥言という人物がいて、彼が復興大和絵の第一人者だということです。

その田中訥言に、冷泉為恭は私淑し、独学で各地の絵を模写するなどして、王朝美意識を復興させるべく絵を書き続けます。狩野ではなく、冷泉と名乗ったのも、我こそが、真に王朝の美を継承するものであるという信念(思い込み)があったからだと思われます。

冷泉為恭は1850年に岡田家という天皇の秘書的な家系の家の養子になったのですが、これもやはり王朝への憧れからなのでしょうか。冷泉為恭の王朝への思慕は徹底していて、住居、衣服、生活様式も王朝風にして暮らしたそうです。

なにが彼をここまで王朝に熱狂せしめたのか、知るよしもありませんが、開国をせまる外圧のなかで、なにか日本人としての精神的支柱を求めたのかもしれません(黒船来航が1853年)。それだけではもちろん説明がつかないわけですが。もちろん、平安時代の貴族文化の独自性、華やかさ、そして文学性は(僕はほとんど知りませんが)素晴らしいものなので、憧れ、追い求めるという気持ちはわからなくもありませんが。

ところで為恭は晩年は尊皇攘夷派の人間からスパイだとみなされ、逃げ隠れるために僧侶になったり、ニセの自分の墓をつくったりまでして、逃亡生活を送りましたが、結局追手に殺されてしまいます。幕府側のところに出入りしていたことで嫌疑がかかったようですが、これは絵を模写するためだったそうです。

僕は(飾っておいてなんですが)平安の宮中の文化、王朝文化にはさして興味はありません。しかし、この冷泉為恭はとても興味深いと思っています。

一口に日本文化といっても、平安の貴族文化、武士の文化、町人文化など、様々ですね。茶の湯はこのいずれとも関係しています。

宮迫正明さんの展示会にいってきました

昨日、2022/11/24、銀座の一穂堂ギャラリーで開催中の宮迫正明さんの展示会にいってきました。

新作、素晴らしかったです。

これまでの日本画と異なり、ご自身が収集なさったアンティークの素材などをふんだんにつかったものを支持体として、コレクションと日本画という宮迫正明さんの2つの人生が非常に洗練された形で結晶していました。

単なる平面作品ではなく、かといって立体作品というのも違う、日本画の手法に染色や表装などの技法が加わった独自の作品群は、宮迫正明さんの新境地でありながら、とても自然な佇まいでした。

宮迫さんのコレクション自体も素晴らしかったです。。必見です。

(重要)11/15より、せたペイ対応します!!

せたペイウェーブにだいぶ乗り遅れた感のある離岸ですが、ついに!せたペイが離岸でお使いいただけるようになりました!

そもそもせたペイって、ご存知ですか?

せたペイは東京都世田谷区内の中・小店舗でつかえる二次元コードの決済サービスです。

なぜ、こんなマイナーな決済手段を導入したかというと、あふれる地元愛から、、というわけではありません。端的に、今だけ超お得なサービスだからです!

せたペイでお支払いいただくと、なんと購入代金の30%!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!がポイント還元されます。

(ただし11月から始まった後期のせたペイキャンペーンではポイント獲得上限は一人40,000ポイントまでとなっています)

つまり!例えば10万円の商品を買うと!

3万円分のポイントがつく!

というハチャメチャなサービスです。。。

ただしこれは期間限定のキャンペーンかつ、キャンペーン全体の予算に上限がありますので、早期に終了することもあります。(事実、前期キャンペーンは期限前に予算上限に達したため、早くに終了しました。)

利用方法は

です。

支払い方法は以下の動画を参考にしてください。

事前にアプリにチャージしないといけないのが面倒ですが(セブン銀行ATMでしかチャージできない)、

その面倒を乗り越えて、ぜひせたペイを使って離岸でお買い物していただければと思います。

(ポイントは翌水曜日に付与されます。ポイントの有効期限は付与されてから6ヶ月です。)

今回のキャンペーンも早期に終了することが予想されますので、出遅れて言うのもなんですが、お早めにお買い物に来ていただくのが吉です。

ちなみにせたペイを使えるお店は以下のマップから調べられます。

https://www.google.com/maps/d/embed?mid=16_ZeZFnx1gWxcidRBPpXVyJLFycj3du1&ehbc=2E312F

僕の好きな経堂のおいしいホットケーキのお店、つるばみ舎でもつかえるようです。

それではみなさま良いせたペイライフを!

せたペイ公式サイト

四畳半について

茶室の基本の大きさといわれる四畳半。離岸の茶室も京間の四畳半となっています。

侘び茶の開拓者、村田珠光(1422-1502)が定めたと言われています。

茶の湯でいうと、小間としても、広間としても使えるサイズ。起源について問うても詮無いほど、使いやすい、丁度いい広さであるこは確かですね。

今日まで四畳半がスタンダードとなっているのは、思想的な面から受け継がれているというよりは、実際的な使い勝手から健在していると考えるほうがしっくりきます。美味しいレシピがその起源を問うまでもなく受け継がれることに似て。

トキワ荘も全室四畳半であったというのは面白いですね(もちろん意味合いは違いますが)。

珠光がなぜ四畳半したか、というのはわかりませんが、方丈をヒントにしたのかも、と僕は思います。

(1丈は10尺なので、約3メートル平方メートルの空間が方丈となります。四畳半は畳が京間サイズですとだいたい方丈くらいの広さです。)

珠光は一休宗純に参禅していたようで、その一休は維摩経におおきな影響を受けたそうです。だとすれば、珠光が維摩経に親しんでいたとしても不思議はない。

維摩経の主人公である維摩居士が住んでいたのがまさにその方丈でした。あるとき、維摩居士が病気で寝ているので、お見舞いしようと文殊菩薩とその仲間が訪ねたとき、全員がその狭い方丈に収まったという話や、維摩居士が菩薩やらを何千何万と召喚したのが方丈に入った、、、などの伝説があります。転じて、「方丈には全宇宙が内包されている」という考えが生まれたとか。

ところでこの伝説から僕が思うのは、ミクロコスモスと考えられるから方丈(とそれに基づくと考えた場合の四畳半)が尊い、のではなく、古代から、人間にとって方丈くらいのサイズが、ある種の生活をする上で、しっくり来るものであったという事実への興味です。

独りで起居するのに、広すぎるということはない。余りモノを置かなければ、狭すぎるということもない。

思考を表現するスペースとして、サイズがその邪魔になるということがない。

沈思黙考するのにも、のんびりするのにも、静寂を味わうのにも、適切な。(逆に、大勢でどんちゃん、わいわいするのには不向きですね。やはり多くても3,4人でまったりするのが吉。)

きっと、方丈ないし四畳半というのは、人間的なスケールで考えてちょうどいい空間だということなのでしょう。

(とはいえ、戦国の大名にとっては異例の、前代未聞の狭さであったと思いますが。ところで当時の農民や下級武士?やらはどのくらいの広さの部屋で起居、生活していたのでしょうか?日本の僧侶には個室があった?瞑想部屋(?)として四畳半くらいの部屋を使っていたりした?

、、、珠光が維摩居士の伝説を知ったいたと仮定しても、それ以外に現実世界で、日常で、四畳半くらいのスペースに慣れ親しんでいたのでしょうか?)

現代にも通じる、私的な領域の雛形としての四畳半。

かつ、珠光の四畳半は一休を経由して維摩居士的な宇宙を内包するものとしての方丈に邂逅する。

この四畳半という広さと人間との関係性について、人類学的な研究などがあったら面白そうですが、寡聞にして知りません。

なんか不思議ですよね、四畳半って。

近況としてのオンラインショップ開設準備のためのメモ

さて、引き続きオンラインショップ開設のために勉強中です。

基本のき からおさえていこうとおもいます。

現状 ムームーDNSを利用中。

ただし、onlineshop.rigan.jp [A]とwww.rigan.jp [A]はムームーDNS未セットアップ。

(未セットアップドメインを利用するには、ムームードメインコントロールパネル より、該当ドメインのセットアップ先をロリポップ!に変更する必要がある。)

ロリポップDNSとムームーDNSでは、ロリポップDNSのほうがよい。

なぜならロリポップDNSでは、レコード編集が出来ないから。と某ブログにある。

というわけで、ネームサーバはムームーを使うことにする。

であれば、まずは上記のムームーDNS未セットアップのドメインを設定する必要がある。

(onlineshopのSSL設定完了)

(ムームーDNS設定完了)

(モゾモゾと作業中、、、)

、、なんか出来ました!!

結論としては、onlineshopとwww.onlineshopの両方のAレコードとCNAMEレコードを設定することで、正常に動作するようになりました。

これでひとまず、ショップ開設の第一段階をクリア。

よくわからないエントリですみません。。

403

いやー、うまくいったとおもったらいってなかった。

以前のブログでオンランショップのためにDNSなんちゃらをカスタムなんちゃらして、なんかよくわからないけどうまくいったとか書いたのですが、今日離岸のホームページにアクセスしたら403エラーがでました。

2022/11/05 19:02現在は完全に復旧していると思われます。

あまりわかってないのでここで詳しく語れませんが、とにかく設定をミスったということです。

オンランショップに離岸のドメインを接続したいだけ、ただそれだけなのに。

残菊

(お菓子の銘にも使われたりする残菊という言葉についてちょっと調べてみたら面白かったのでメモしておこうというお話)

ところで、おもしろいブログとか、僕はどんどんリンクを貼りたいのですが、リンクされるのを嫌う方もいらっしゃるので、悩みます。いちいち訊くのも面倒ですしね。そもそもインターネットってハイパーリンクなんだから、それこそウェブ的につながってこそ、と思うのですが、つながる、ということは、人間にとっていろいろと難しい問題ですね。(エヴァしかり。)

こういうとき、ありえなかった未来としてのザナドゥはどんなだっただろうと、思うことがあります。そんなこんなで、今回の残菊譚には発端になったブログがあるのですが、それには言及せず、そのブログの元ネタとなった論文をご紹介しつつ、展開します。

残菊というのは、重陽の節句すなわち九月九日を過ぎても咲いている菊のことです。過ぎても咲いている、ということ、残という漢字の意味合いがこのエントリの主題です。残。厨二病らしくもあるこの響き、僕は好きです。ロマサガ3の地ずり残月とか、そういう類のものです。

重陽の節句というのは中国発祥の文化です。陰陽の思想が影響力をもつ中国では、9は最大の陽数(奇数が陽、偶数が陰)として大事にされました。したがって9が2つ重なるその日は、とても縁起の良い日として、長久や無病息災を願う行事をしたそうです。

面白いのは重陽はめでたいのですが、逆にめでたすぎて危ないと、古代の中国の人が思ったことです。そのため、菊を服用して健康を得たり、邪気を祓ったりということもしていたようです。そのような具合で、菊というのは、重陽の時期に咲くマジカルでエネルギッシュな花という地位を得ました。

菊はこのように重陽の節句には重宝されましたが、翌日、九月十日になれば、もう無用のものになります。「菅原道真詩文における残菊をめぐって」という論文によれば、古代中国において残菊は「菊が重陽という一番いい時期を逃したことに対し、心理上において、それを価値のない、欠点のあるものとする」という意味合いで使われたそうです。

このように中国では残菊は否定的なイメージをまとう語であったため、詩歌において積極的に詠まれる題材にはなり得なかった、と先の論文の筆者は主張しています。ひるがえって日本では残菊はどのようなイメージで捉えられたのでしょうか。

論文の筆者は菅原道真の詩において、残菊は「独」や「孤」という語とともに使われていることを指摘しています。「独」は単に独りという以上に他者を凌ぐ、独占するなど積極的・拡張的なプラスのイメージを持つ語とされ、「孤」は、寂寞とともに品格の孤高さを表現する語として使用していると言います。つまり、日本では、少なくとも道真公にとっては、残菊は必ずしもマイナスのイメージでは捉えられていないどころか、賛美の対象ともなっているといいます。

もうひとつは、中国では残菊=九月十日であるのに対し、菅原道真(日本)ではもっとひろく秋、晩秋の時期まで含むという、時期の違いについても指摘されています。日本では重陽がそこまで根付かず、一方で菊を秋の遅い時期まで賞玩する風があった。そしてそれは〈99〉という一つの頂点を賛美するという文化ではなく、時のうつろい、時間による変化、流転を楽しむ文化という違いに表れています。

つまるところ、「残」とはうつろい、流転、変化の謂で、時間を内包した表現であるということです。茶の湯もまた、時間の流れ、季節およびその変転を愛でるものです。だからこそ、残菊ということばが、茶の湯の文化圏においては今も生き続けているのでしょう。思えば、残心という言葉もまた、うつろう時間を内包したものであると捉えられます。

インターネット覚書(オンラインショップのために)

オンラインショップ開設を準備しています。

そのためにCNAMEの設定というものをしなければならず、自分用のメモを作っていましたが、せっかくブログがあるので公開してしまおうと思い、以下につらつらと基礎知識などを記していきます。

なお、自分が最低限理解するためのもの=自分用メモの公開という体裁なので、伝える文章としての体は成していませんし、そもそも不正確な理解をしていると思いますが、あまり突っ込まないでください。

なんかこんなことしているんやな、という近況報告、生存確認のようなものです。

ドメイン=IPアドレス
IPアドレスだと人間は直感的に分かりづらいので、ドメインという「通称」を使う

DNS
domain name system
ドメインとIPアドレスの照合をするのがDNSサーバー。
キャッシュ(あんちょこ、頻度の高いもの保管)と権威(広辞苑的な)の2つのDNSサーバーがある。

CNAMEレコード
ドメインとIPアドレスの照合表をゾーンファイルという。
その1行単位をDNSレコードという。
DNSレコードにはいくつか種類がある。そのうちCNAMEレコードはホスト名に対する別名を定義するもので、ドメイン名を別のドメイン名に転送するときなどに使う。ドメインAにアクセスしたままドメインBを表示できる。

CNAMEとリダイレクトは違うらしいが、どう違うのか、よくわからない。

Aレコード
ドメインのIPアドレスを指定する基本的なレコード

公開フォルダ
が設定されていないと403エラーが表示される。サーバーのコントロールパネルをみるとrigan.jpにも公開フォルダの設定はなかったけど、離岸のホームページが表示されるのはなぜ?

(wwwはサブドメインである。そして、「ホームページにwwwを使うかどうか問題」がある。なぜならば、CDNという仕組みがあるから。

CDN :コンテンツデリバリーネットワーク。要はインターネットのページを高速で表示するための仕組み。ただしこれを利用するには、そのページがサブドメインでなければならない、らしい。

CDNはまあとりあえず後回し。。。)

ドメインを取得したサイトに飛び、以下の2つを設定しましょう。

AレコードをShopifyのIPアドレス23.227.38.65へ向ける
「www」のCNAMEレコードをshops.myshopify.comに設定する

★A、AAAA、MX、TXT、ALIAS、CAAでサブドメイン名が空欄の場合はrigan.jpのレコードとして設定されます。

空欄→rigan.jpのレコードとして設定されていいものなのか?

なぜサブドメインがwwwと指定されているのか?

とりあえずマニュアル通りに設定したが、意味がわからなくて気持ち悪い。

というか、接続と移管という方法があるが、これは接続で良いだろう。

外部ドメインをShopifyに接続する前に、以下の留意事項を確認してください。

Shopifyでは、サードパーティのプロキシの使用はサポートされていません。ストアの予期しない動作やサービスの中断を引き起こす可能性があります。Shopifyは、サポートされていない設定によるデータの損失やストアの停止に対して責任を負いません。

明示的な許可があっても、Shopify サポートがお客様に代わって外部ドメインアカウントにログインすることはできません。外部ドメインを設定する際にサポートが必要な場合は、サードパーティプロバイダーのサポートチームにお問い合わせください。

ドメインを設定する際にShopifyのサポートを受けて、管理画面でドメイン設定すべてを直接管理する場合は、外部ドメインをShopifyに移管することができます。

認証局の承認 (CAA) レコードを使用する必要はありません。ただし、CAAレコードを使用する必要がある場合は、各CAAレコードに次の認証局 (CA) を追加します。

プロキシ パシリらしい。キャシュ的な面もあるらしい。 

、、、、

とりあえず設定は出来たっぽいのでここで一区切り。

コンフォルト掲載情報

コンフォルト187号 (2022年10月号)に離岸の茶室(とギャラリー部分も)が掲載されています。

素敵な写真も多数撮っていただきましたので、よろしければぜひご覧になってみてください!(お店に見本誌が置いてありますので、ご興味のある方はお声がけください)