BLOG店主日記

いのり

色々なうつわをみていると、やっぱり古いものがいい、という気がしてくる。

時の洗礼を受け、かつ時間を経て風格を増したからではなく、

古くて、現代に残っているものは邪念が無い(あるいは昇華されている)ものばかりだから、という思いを持つ。

現代の工芸家は、それこそ西洋近代の個人主義・作家性の思想をベースにしているから(か)、どうしても、自分なりのものをつくろうと、意気込み過ぎている。

それこそ「芸術的」な茶碗なども溢れている。がしかし、それは芸術自体を勘違いもしているし、まして工芸にとっては必要ない自意識である。

個性は追い求めずとも呪縛のように常にそこにあるもので、それをなんとかなだめすかして、一意に、専心して、祈るように、まっすぐに、形作る。

僕はそういったものを好ましいと思う。というのをここ最近、再確認した。

それは外面的な要素にはおよそ関係がない。シンプルなものに祈りがあることもあるし、シンプルなものに祈りの無いこともある。絢爛で派手なものに祈りがあることもあるし、絢爛で派手なものに祈りのないこともある。

祈りのある作家。祈りのある作品。

祈り。それは自分を超えた物に向かって自分を投げ出すという営みである。

そしてもうひとつ大事なのは距離の問題。祈りというのは、同時代性からの剥離でもある。現代にべったりという距離感ではなく、今ここから剥がれ落ちて、それで大きな迂回路を通って、また今ここへと戻ってくる。

祈りという営為とそれに伴う距離の問題。

これは今後離岸として扱う作家の選び方の基本方針でもあるので、ブログというかたちで公開してみた。

村上三和子さんと梶原靖元さんのコラボ展のDMに書いた文章も、結局は同じことなのだ。

自分よりも「大きなもの」があること、そのことを信じている作家。それに向かってゆく作家。

これからも、そういう方々と新しい出会いを持つことができたら嬉しい。