BLOG店主日記

和綿の着物

染織家・永井泉さんによって和綿の美しさに魅せられてから、着物が気になっている。

着物のよいところは、美しいこと。

欠点は、(現代生活からすると)不便だったり、洋服より疲れること。これは僕が茶会のときしか着ないからで、毎日着るような人なら問題としないのかもしれないけれど。でもまあ例えばComoliのようなゆったりしてラクな気軽さからすると、それなりの緊張感はあるわけで。そしてそれが着物の心地よさでもある。

着物は一反の反物を無駄にしない。そういう潔さも美しいし、もちろん衣服としてみて美しい。ことにやはり東アジア人の骨格にはよく映える。あの形のせいなのか、男でも女でも、きらきらと輝いてみえ、一段二段格が上がるのは不思議なものだ。

永井さんは、和綿を栽培し、収穫した綿花から自分で糸をつむぎ、染め、反物を織っている。大地から一本の糸でつながるその制作工程は、そのまま永井さんの生き方であり、哲学であるかのようだ。

わたしたちはモノを買うとき、その背後にある物語にも価値を見出している。作り手の思い、工程、原料の選定。そうしたものは作品のオーラとなって、目には見えないけど、佇まいとして本物感を醸し出している。

永井さんはなんといっても、綿花から育てているのだ。しかもその綿花も修行先から分けてもらった伯州綿である。このスーパートレーサビリティは、強調してもしすぎることはないくらいの贅沢だ。僕らはその反物に含まれている歴史をすべてたどることができる。

お茶の道具は伝来についてとやかく言われるが、それもモノを超えたモノガタリを大事にする感性である。何百年も人から人へと受け継がれてきたものと同じく、永井さんの反物は大地から受け継がれてきた来歴に丸裸で触れられる。

茶の湯では所作のため、「やわらかもの」の着物が良いとされる。

綿などの、先染めの織の着物は、「かたもの」で、なにかと不都合もあろう。

けれど、それはそれで自分で点前を工夫したり、練習したりで、しのげばよい、と思う。

綿の着物、ことに和綿手紡ぎの着物はとても美しく、品があり、そして素朴な温かみもあるので、特に侘び茶などを標榜する茶には合うと思う。

少なくとも僕はそのように思うので、離岸主催の茶事茶会では亭主として永井さんの着物を着たいし、お客さんも、永井さんの和棉手紡ぎを着て参加していただいて構わない。むしろ着てほしい。

こうした細かな「アップデート」は、上からのお墨付きを待ってやるようなものでもないだろうから、草の根から勝手にやらせていただくとしよう。

しつこいようだけれど、この令和の同時代に、和綿の、手紡ぎの糸の反物を作っている作家がいて、それを着ることができるというのは、結構すごいことだと思う。