BLOG店主日記

和銑

先日某所の茶の湯釜工房を見てきました。釜師業界内のバランスとかもあり?、あまり言えませんが、和銑で釜を作っている唯一の工房でした。

千家十職ですら、和銑は使用していません。何が何でも和銑がいい、和銑じゃなきゃ偽物、ということはありません。現に、日本でも確実に和銑、といえるのは江戸くらいまでだそうですから。

和銑は普通の鉄に比べて硬い。なので音が違います。叩くと磁気のような音がします。これはなんか結構感動しました。硬い分、落とすとパリーンと割れるそうです。

あと違うのは、中まで錆びません。和銑は表面だけ錆びる。古い和銑のかけらをみせてもらいましたが、断面を見ると、外側は錆びていても、中はキラキラ、真新しい鉄の輝きでした。

錆びないので和銑のものは数百年は保ちます。錆びて朽ちるということがない。普通の鉄でも数十年から百年くらいは保つのかもしれませんから、和銑の真価が発揮されるのはとても長いタイムスパンの話です。

なぜ和銑がそんなに希少かというと、まず普通のところでは精錬、精製できない。手間のかかる方法で、しかも冬の間しか作れない!ため、商売としては成り立たないのです。

あと硬いために、扱いが難しく、高度な技術が必要です。溶けても流れないそうです。そのため、薄くしようと思えば、割れてしまったり、歩留まりが大変悪い。

一度失われた技術を復興するのは大変です。和銑づくりも、それを用いた釜づくりも、これから先残ってくれるといいなと、微力ながら応援したいと思っています。

プロセスとしての茶の湯

茶の湯は堅苦しくて嫌厭されているから、カジュアルにしよう!

作法とか、面倒だから省略しよう!

そのような考えに対して、僕もかつては是としていましたが、

だんだんと考えが変わってきました。

手順とか作法を省略すると、結局ただの茶飲みになってしまうのよね。それは茶の湯の面白さをほとんど全く台無しにしている。

一杯の茶をいかに荘厳するか。

そこに茶の湯のすべてがある。

荘厳なしに茶の湯はありえない。

人口に膾炙しないのは、堅苦しいからではなく、その荘厳が、不十分だからだと最近考えています。

よって、家で自服をするときにも、それなりの荘厳の舞台が整えられて然るべきと思います。

ただ、荘厳にも濃度があって、真行草に倣って言えば、茶事が真の荘厳、大寄せが行の荘厳、家での自服は草の荘厳になるかと思います。あくまで仮の分類ですが。

問題は草の荘厳について、まじめに考えられていないということです。

荘厳である以上、真と心としては同じでなければならない。

むしろ手順や舞台設定が省略されるので、むしろ荘厳の難易度は、草のほうが高いかもしれない。

だったらやはりちゃんと茶道を習って、茶事をするしかないか、、とは言いたくない。

茶道を稽古してそれを超えていけばいいのですが、抹茶臭さに染まってそれに気づかぬまま(というかそれこそが茶道なのだと思い込んだまま)死んでいく人生というのは嫌だからです。

それならば、まだしも抹茶臭さに染まっていない在野の、野生の茶の湯を発展させたほうが可能性は高いように思います。やっている人間からすれば微笑ましいような内容でも、そこには実存が介在する可能性が高い。茶人はそれを参考にして、自分の茶の湯をリフレッシュさせていけばいいと思います。

で、草の荘厳。

これは自宅用の茶箱をつくるか、マットを活用していくと、なんとか舞台設定ができるような気がします。あと和ろうそくとお香が、自宅では役に立つかなとも。昨今の中国茶がやたらおしゃれなので、そこらへんにヒントをもらうのもよいかもしれません。

ただ茶の湯はやっぱりおしゃれとは少し遠ざかっていたい。というかそれが本質ではないという前提で、組み込みたい。ギャルソンとcomoliの間。

道具としては茶碗、茶杓(これは一番お金をかけてください。)、茶筅、棗(もしくは薄器)、茶巾(清める手順は省略しないほうがいいでしょう。)、鉄瓶、炉、菓子皿(下手な菓子皿を使うくらいなら、懐紙のほうがよっぽどよい雰囲気です。なんかグレーっぽい懐紙とかあってもかっこいいかも、、とふと思うなど。)、黒文字。菓子切もだいたいのものより、黒文字のほうが安定したスコアを出せます。

これらにくわえて、草の荘厳ならではの道具が必要になる。

なぜかというと、普通のテーブルというのは大した雰囲気を作り出せないからです。いや、違うかもしれないけど、とにかく少し演出が必要です。

続きはまた書きます。

正座

茶の湯の鬼門ともいうべき正座。

色々と合理的に作られている茶の湯の作法のなかでも、もっとも弁護しづらいもの。

審美的には、やはり美しいとおもう。

人体がコンパクトにまとまるし、凹凸が少ない。茶室の気を乱さない。

けれど不評も多く、悪習であるとみる向きもあろう。

ぼくもその点では肯定しえないでいたが。。。。

先日とあるお客様に「ととのう正坐」というのも教えて頂いた。普通の正座(というのも変だが)と全然違うらしい。

野口体操の系譜に連なるお方のようである。今度僕も参加してみようとおもっている。

茶の湯は茶室+正座を前提に構築されているから、それを崩すとそこからの再構築が結構難しい。

単に掘りごたつにして、半東が運ぶようにするとか、そういうのはあまりいいとは思わない。

一変えたら十変えないといけない。

細部と全体は不可分なのであり、細部こそ全体であるので、細部をかえたら、全体を変えないと、全体が変わらないと、それは嘘である。

ぼくは基本的に立礼がすきでないのも、あれは半分くらいしか変わってないからである。

その意味で、もし良い正座と悪い正座というものがあり、そして良い正座が身に付けられるものならば、まずすべきは茶室を変えたり、座椅子を使ったり、立礼をするのでなく、良い正座を身につけるというのが、茶の湯の稽古の基本となるべきではないだろうか。

身体への負荷よりも美が勝るという価値観は良い。だが、身体への負荷が減るならば、それを試してみれば良い。負荷自体は美徳ではない。ただ美に対して跪くというのは美徳として存在しうる。

ただ人にたいして何が何でも正座しろ、とは言えない。しかし、自ら「やっぱり結局正座しかないな、、、」と諦め、それを把持する人、以外と、茶室のなかで、本当の一座建立が出来うるのかは、大いに疑問の残るところである。

茶の湯とは?

茶の湯とはなんぞ?

色々な考え、捉え方がありますが、今回は中国茶との比較で。

とある作家さんから中国茶(を茶の湯に組み込むこと)の示唆を頂き、最近勉強というか、飲み始めています。

5-10年前、たしか武蔵小杉の?、中国茶屋さんで飲んだお茶が美味しくて、しかしそれ以来全然飲んでなくて。

最近上記のヒントに加えて『中国茶のこころ』という本を読み、素晴らしかったので、あらためて中国茶の世界に飛び込んだ次第です。

さて、中国茶は味を大事に考えます。まあ嗜好品たるお茶やコーヒーはもちろん味が大事です。

しかし、茶の湯では闘茶という前史を踏まえ、味については不問というスタンスです。

これは結構驚くべきことではないでしょうか。

抹茶(濃茶薄茶)は嗜好品としての立場を捨て、茶の湯のフィールドにおいては、他のものと同格という扱いに退いているようにみえます。

茶の湯においては道具組、設えが大事で、かつ、「茶を飲むという行為そのもの」が大事であり、味については、価値として最上位にくるものではない。

いわば主従の関係が反転しているようにみえます。この価値転倒を可能にしたのは禅の思想や、時代背景など、

いくつかの要因が考えられそうです。そしてそこにこそ茶の湯の肝がある。

道具道楽はこの反転のいわば堕落した形態なのでしょう。道具は大事だけれどもそれに淫してはいけない。

飲んでも飲まれるな、というやつですね。

茶の湯が紛いなりにも数百年続いたのは、家元制度などにも因るところがありましょうが、この味を捨てたという思想の故ではないかとも思えます。

味は大事である。けれども大事ではない。

この意味をもう少し考え続けたいなと思っています。

さてここで問題になるのが、中国茶を茶の湯に組み込むという話。形式的にも、思想的にも、整えていかないといけません。

注意喚起のアーカイブ

【重要なお知らせ!!】

support@rigan.jp からメールが来た場合、何も操作せず、破棄してください。また離岸までご一報いただけると幸いです。

〈概要〉今日6/9、離岸のメールアドレス宛に、「support@rigan.jp」なるメールアドレスから不審なメールが送られてきました。「support@rigan.jp」というメールアドレスは離岸で作成しておらず、悪意ある第三者によって運用されているものと考えています。従って、「support@rigan.jp」からメールがお客様へ届いた場合、メール内のリンクなどは決して開かず、破棄してください。

この事案は2023年6月に発生したものです。

吉野敬子さんのこと

5/20に吉野敬子さんがご逝去なさったということを、さきほど知りました。

謹んで哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りいたします。

離岸オープンの前、新宿柿傳のギャラリーで初めてお会いして、吉野さんの作陶に対する姿勢や唐津のことなどをお話させていただきました。吉野さんの唐津に対する愛情(一度は自ら離れた土地であるわけですが)をひしひしと感じ、畑の作物を育てるように、という焼きものに対するスタンスも、吉野さんの思想が表れていて感銘を受けました。

あの時が離岸としての作家さんとの初交渉で、緊張しきりでしたが、暖かくお話を聞いていただき、また唐津の作家さんをご紹介してもくれました。離岸のオープンにむけ、様々な作家にコンタクトしては断られる中で、初めてお会いしてくれたのが、吉野さんでした。

その後、吉野さんの櫨ノ谷窯を訪問し、お父様の作品と吉野さんご自身の作品をみせていただきながら、縁側で陶芸のこと、今の日本の文化のこと、唐津のこと、たくさんお話させていただきました。古唐津の陶片を出してきて、ひとつひとつ愛おしそうに眺めながら、嬉しそうに昔の陶工の技を語る様がはっきりと思い出されます。

話し込んでいるうちにだいぶ時間が経ってしまい(櫨ノ谷窯はすごくいいところで、つい長居してしまうようなところです。もちろん吉野さんのお人柄も大きいのですけれど)、次の場所に行く時間になってしまったので買いつけもできず、仕入れなどはまた次回、、といってそそくさと吉野さんのところを辞しました。

その後、買い付けのアポイントを取ろうとご連絡したら、ご体調が良くないということで、来年以降仕事を再開する、とお返事がきました。

インスタなどの更新もあまりされず、気になりつつも、少し待ってみようと距離をとっていました。そのうちにどこかで復帰の展示会などするだろうから、その後でまたご連絡してみようか、なんて考えていました。

結局、吉野敬子さんの作品は離岸では扱うことが叶わず、手元にある吉野さんの作品は、柿傳で求めた茶碗がたった一つとなってしまいました。

吉野さんがいなければ、離岸は(少なくとも)今のようなかたちではオープンできなかったでしょう。僕と離岸にとって計り知れない恩人でした。それに何も報いることができなかったのは(弊ギャラリーに出来ることはたかがしれていますが、それでも、)悔やまれることです。

櫨ノ谷窯に併設されたカフェ、やぎ、畑。お父様がお作りになった茶室(おおらかな腰掛)。半農半陶の暮らし。

もっとたくさんの作品を見たかったし、またお話したかった。

パーフェクト・デイズ

予告編だけで泣けるやつ。ルー・リードと役所広司とヴィム・ヴェンダースなんて、最高でしょ。

福岡の屋台文化

いっとき、福岡市東区に住んでおりまして、天神のあたりもよく行きましたが、天神の屋台には一、二度しか行ったことがありません。

福岡は基本的によそ者ウェルカムな街で、温かいところです。僕の場合は、どちらかといえば一人でいるのを好むため、屋台の距離感の近さ、隣の人と一緒に飲むみたいなノリがそんなに得意ではありません。(たまにそんなモードの時もありますが。)

茶の湯はその点、淡交ですから、いいのです。

でも日本含む東アジア(東南アジア?)の屋台文化は興味があり、なくなってほしくはないと、思っています。

地元住民との関係性のなかでの模索になるのかとはおもいますが、制定された条例が屋台文化にとって良い作用をもたらすといいんですが。

この動画をみつけたのでこのエントリを書こうと思いました。ハートウォーミング。

いのり

色々なうつわをみていると、やっぱり古いものがいい、という気がしてくる。

時の洗礼を受け、かつ時間を経て風格を増したからではなく、

古くて、現代に残っているものは邪念が無い(あるいは昇華されている)ものばかりだから、という思いを持つ。

現代の工芸家は、それこそ西洋近代の個人主義・作家性の思想をベースにしているから(か)、どうしても、自分なりのものをつくろうと、意気込み過ぎている。

それこそ「芸術的」な茶碗なども溢れている。がしかし、それは芸術自体を勘違いもしているし、まして工芸にとっては必要ない自意識である。

個性は追い求めずとも呪縛のように常にそこにあるもので、それをなんとかなだめすかして、一意に、専心して、祈るように、まっすぐに、形作る。

僕はそういったものを好ましいと思う。というのをここ最近、再確認した。

それは外面的な要素にはおよそ関係がない。シンプルなものに祈りがあることもあるし、シンプルなものに祈りの無いこともある。絢爛で派手なものに祈りがあることもあるし、絢爛で派手なものに祈りのないこともある。

祈りのある作家。祈りのある作品。

祈り。それは自分を超えた物に向かって自分を投げ出すという営みである。

そしてもうひとつ大事なのは距離の問題。祈りというのは、同時代性からの剥離でもある。現代にべったりという距離感ではなく、今ここから剥がれ落ちて、それで大きな迂回路を通って、また今ここへと戻ってくる。

祈りという営為とそれに伴う距離の問題。

これは今後離岸として扱う作家の選び方の基本方針でもあるので、ブログというかたちで公開してみた。

村上三和子さんと梶原靖元さんのコラボ展のDMに書いた文章も、結局は同じことなのだ。

自分よりも「大きなもの」があること、そのことを信じている作家。それに向かってゆく作家。

これからも、そういう方々と新しい出会いを持つことができたら嬉しい。

池塘春草生

禅では草むらは煩悩の象徴とされ、悟りの境地は冬の冷え枯れた景色によって表されるようです。

煩悩の否定、超克という意味で、冬の冷厳とした風情が好まれるのですね。

そうなると、春という生命の芽吹く季節は、欲望が首をもたげる季節でもあって、好ましくない。

ただ、その自然に備わった煩悩をただ否定するのではなく、自然な色気として受け入れてこそ、より高い境地にあると、この語は伝えているようです。

あるいは修行の厳しさを周りや他者に強いるようにして、場を冷え固まらせる。それも、悟ったようでいて、独善的な態度である。だから、自分には厳しくも、場を和ませたり、柔らかくすることができるのが、本当の覚者だ、という意味もあるのだとか。

平たく言うと、思いつめすぎてはいけないよ、、、ということでしょうかね。しかし、これは一度も思いつめすぎたことの無い人間が、軽々というべきことではない、とも思いますので、まあ、とにかくいろんな経験を積みましょうと、そんな落とし所で解釈しております。