BLOG店主日記

加湿器

乾燥の季節、加湿器の季節。

クラヴィコードの過乾燥をふせぐためにも、加湿器は欠かせません。

加湿器はとにかく手入れが面倒で、頻繁にやらないといけないのが大半で、数年前に加湿器というものを使い始めたときから、手入れが簡単、ということを基準に選んできました。

結論から申しますと、性能、手入れの楽さなど総合してダイニチのものが最高です。

一番カンタンなのは象印などの湯沸かしタイプ。しかし電気代と有効面積?がネック。

つぎはVenta。 ダイニチに出会う前にはベンタを使っていましたが、ベンタは一度日本から撤退し、消耗品もいつまで続くかわからないといった状況でした。撤退というか、代理店が本国から契約を解除され、その代理店も事態に混乱している様子で、先行きが不透明だったため、すてました 。

デザインや製品の思想は気にいっていたので、大変残念でした。しかしベンタ、最近調べたらなんか復活してましたね。

ベンタかダイニチかという選択ですが、今年ダイニチが手入れ不要の使い捨てフィルターを発売!!!!

これとかんたん取り替えカバーの併用で、シーズンを通してほぼメンテナンスフリーになったので、これはダイニチを継続するしかないという考えです。

内部のフィルターを洗わなくていいのは、決定的に楽です。

もう2週間ごとのクエン酸(と重曹)の儀式から開放されたのです。

というわけで加湿器のおすすめはダイニチのものです。

法華経

雨曼陀羅 曼珠沙華 栴檀香風 悦可衆心

-序品

この経を受持し、若しくは読み、若しくは誦し、もしくは解説し、もしくは書写せば、八百の鼻(び)の功徳を成就せん。この清浄の鼻根を以て、三千大千世界の上下・内外の種々の諸の香を聞がん。曼珠沙華の香、しゃだいけの香、まつりかの香、贍葡華の香、はららけの香、赤蓮華の香、しょうれんげの香、白蓮華の香、かじゅの香、栴檀の香、沈水の香、多摩羅跋の香、たからの香、及び千万種の和香の、もしくは抹れる若しくは丸めたる若しくは塗る香を、この経を持たん者は、此間にとどまりてことごとく能く分別せん。また、衆生の香、象の香、馬の香、牛羊の香、男の香、女の香、童子の香、童女の香、及び草木叢林の香、若しくは近き若しくは遠きあらゆる諸の香をわきまえ知り、悉く皆聞ぐことを得て分別して誤らざん。

この経を持たん者は、ここに住すといえども亦、天上の諸天の香をも聞がん。パーリジャータカの花、コーヴィダーラの花、マーンダーラヴァの花、マハー=マーンダーラヴァの花、マンジューシャカの花、マハー=マンジューシャカの花、天上の沈香、栴檀の種々の抹香・諸の雑華の香、かくの如きの天香の和合して出す所の香を、かぎ知らざることなからん。又、諸天の身の香をかがん。五欲に娯楽し嬉戯する香り、忉利の諸天のために説法する香り、遊戲する香り、男女の身の香りを悉く遥かにかがん。

是人鼻清浄 於此世界中 若香若臭物 種種悉聞知

-法師功徳品

清浄な鼻は、衆生の匂いを知り、人々がどこにいるかを知り、大地に含まれた鉱物を知り、宝石や衣装や化粧品を知り、立っているか、座っているか、愛欲の楽しみに耽っているか、神通力を備えているか、すべて嗅覚によって知る、とある。

山林に入り、そこにどんな生き物がいるか。

妊婦の胎児の性別、流産するかしないか、分娩時の苦痛はあるかないか。

人の性格、情熱的だとか、悪意があるとか、偽善者だとか、心が平静であるとか。

あらゆる事柄を、匂いによって知ることができると、書かれている。

いわば嗅覚は第六感のようなもので、非言語的な情報を感受する器官だともいえる。

ふつう人間は、日常生活の中で、そこまで嗅覚を研ぎ澄ませることなく(=その能力を発達させることなく)生活するので、能くわからないが、嗅覚を鍛えるというのは、人が無意識のうちに取りこぼしている情報にアクセスできるということである。そうした鋭敏な感覚は、現代社会にあってはむしろ不都合なことも多いから、嗅覚は鈍磨させておいたほうが、むしろ都合がいいのかもしれない。

けれど、その鈍磨しきった嗅覚が、複雑で奥行きのある香りを嗅ぐことで知らぬ内に鍛錬されると、そこにはまた別の楽しさが待っている。

匂いが人の心理・情動に与える影響はかくも大きい。嗅覚はもっともケモノに近い感覚器官であり、人の本能を刺激し、揺さぶる。

だからこそ、日々他人との密な接触にさらされる私達は、匂いを消し、匂いを隠し、匂いを別の匂いで覆うことで、なんとかどうしようもなく揺さぶられる本能と折り合いをつけている。匂いを楽しむよりはむしろ匂いに蓋をすることで匂いと付き合っている場面も少なくない。

そのような消極的な匂いとの付き合いではなく、積極的に匂いを楽しむことといえば、香水である。

香りを纏うことは、衣服もまとうことよりも一層繊細な作業で、かつその人の欲望を表してもいる。

香水には様々な種類があるが、そのどれもが西洋で発達したもの(をベースとした文化)であるから、その文化外の文化を知るものからすれば、強いと感じることも多々ある(香水ではつける場所も肝心だが、安易に手首などに付ける人も多いのかもしれない、すれ違いに辟易するのは、匂いの安っぽさとはべつに、付け方の問題もあるだろう)。

ゆらすかおりの香は、香水のように、あるいはアロマのように、強くはない。むしろ儚く、やさしい。

その弱さにこそ、幽玄が宿る。

香りに陶酔するのではなく、香りによって心が整えられる。刺激やエロスはあくまでその静寂のなかに包まれている。だからその「弱さ」は退屈ではなく、むしろ焚きしめるたびに新たな発見があるような奥深さがある。

ゆらすかおりを紹介するときに難しいのは、いかに人々の「お香」のイメージを覆せるか、ということに尽きる。

それは製法からしてその他の市販のものとは全く違うし、今井麻美子の調合の術もある。

ゆらすかおりは香水、お香とは別の第三のカテゴリといってもよいくらいだ。

まあ騙されたと思って、一度使ってみてほしい。としか言えない。

なにせ体験しないとわからないものなのだ。

Fragments about incense 

11/4より開催の〈ゆらすかおり展〉にむけて。

関口真大『匂い・香り・禅』より

香料や香辛料はほとんどみな東洋の特産物であった。豊富な香木、香花、香果に恵まれた条件を持った東洋では昔からそれらが大いに利用された。三千年の昔より、神秘な儀礼にも日常の飲食物にも、異性に対する魅力のためにも、(中略)種々の匂いが利用され、やがて匂いの芸術が成立するほどまでに匂いの文化が発達した。

東洋の神話では、匂いの精が美の神や音楽の神として活躍する。また人間の生命を奪う怖ろしい悪神としても活躍している。

匂いは一説には約40万種あるとされる。そして科学的、学術的に分類し、系統だてるのが難しい。

匂いは、味覚や触覚よりも心の奥を揺さぶる。匂いは理性(大脳新皮質)を経ずに、情動・本能・記憶を司る大脳辺縁系に直接伝達される。そのため嗅覚は、他の視覚、聴覚、触覚、味覚と違い、直接本能に作用する。

匂いは濃度によって質そのものが変化する。糞便の匂いであるスカトールが希薄になるとジャスミンやオレンジのような花香を放つ。

香料を大量に使用する化粧品。香水はいわずもがな、せっけん、歯磨き粉、洗剤、入浴剤など、商品の売れ行きは香りによって大きく左右される。お茶やコーヒー・紅茶などの飲料でも匂いは重要な要素だ。また酒類においてもその商品価値を決めているのは匂いである。

香料を使用する諸産業により、合成香料が発達してきた。合成香料は天然香料の主要成分のみを真似する。天然香料は、主成分のほかに、実はいろいろな成分が複雑に組み合わされている。だからそれらの合成香料をどれほど巧妙に混ぜ合わせても、天然の香料の発する匂いは得られない。人工品には、いつも大事な何かがかけている。

美しい匂いは心の奥にまで沁み渡り、妖しい匂いは身も心を蕩かす。この妖しく美しい匂いから人類は2つの芸術を作った。一つは西洋の香水、もう一つは日本の香道である。

匂いは人間の持つ感覚のうちで、下劣なものから高尚なものまで、もっとも幅広い範囲をカバーする。食欲・性欲に直接に作用する匂いから、神仏に捧げるものとしての香りまで、およそ人の文化史の全範囲において、匂いは人に作用してきた。

香道は、香りによって心を清め、人間の品性を高尚なものに高めようという幽玄の世界である。

平安期、日本人は匂いに対する優れたセンスを発揮させ、薫物といわれるものを発達させた。薫物は粉末にした香原料にはちみつをまぜて練り合わせた練香である。貴族はめいめい自分の調合をつくり、そのレシピは家伝として秘密にした。ときにはそれを持ち寄り、優劣を競い合う薫物合わせという競技も行った。練香はのちに茶の湯でも使われるようになった。

法華経における香りの描写を見よ。

和銑

先日某所の茶の湯釜工房を見てきました。釜師業界内のバランスとかもあり?、あまり言えませんが、和銑で釜を作っている唯一の工房でした。

千家十職ですら、和銑は使用していません。何が何でも和銑がいい、和銑じゃなきゃ偽物、ということはありません。現に、日本でも確実に和銑、といえるのは江戸くらいまでだそうですから。

和銑は普通の鉄に比べて硬い。なので音が違います。叩くと磁気のような音がします。これはなんか結構感動しました。硬い分、落とすとパリーンと割れるそうです。

あと違うのは、中まで錆びません。和銑は表面だけ錆びる。古い和銑のかけらをみせてもらいましたが、断面を見ると、外側は錆びていても、中はキラキラ、真新しい鉄の輝きでした。

錆びないので和銑のものは数百年は保ちます。錆びて朽ちるということがない。普通の鉄でも数十年から百年くらいは保つのかもしれませんから、和銑の真価が発揮されるのはとても長いタイムスパンの話です。

なぜ和銑がそんなに希少かというと、まず普通のところでは精錬、精製できない。手間のかかる方法で、しかも冬の間しか作れない!ため、商売としては成り立たないのです。

あと硬いために、扱いが難しく、高度な技術が必要です。溶けても流れないそうです。そのため、薄くしようと思えば、割れてしまったり、歩留まりが大変悪い。

一度失われた技術を復興するのは大変です。和銑づくりも、それを用いた釜づくりも、これから先残ってくれるといいなと、微力ながら応援したいと思っています。

プロセスとしての茶の湯

茶の湯は堅苦しくて嫌厭されているから、カジュアルにしよう!

作法とか、面倒だから省略しよう!

そのような考えに対して、僕もかつては是としていましたが、

だんだんと考えが変わってきました。

手順とか作法を省略すると、結局ただの茶飲みになってしまうのよね。それは茶の湯の面白さをほとんど全く台無しにしている。

一杯の茶をいかに荘厳するか。

そこに茶の湯のすべてがある。

荘厳なしに茶の湯はありえない。

人口に膾炙しないのは、堅苦しいからではなく、その荘厳が、不十分だからだと最近考えています。

よって、家で自服をするときにも、それなりの荘厳の舞台が整えられて然るべきと思います。

ただ、荘厳にも濃度があって、真行草に倣って言えば、茶事が真の荘厳、大寄せが行の荘厳、家での自服は草の荘厳になるかと思います。あくまで仮の分類ですが。

問題は草の荘厳について、まじめに考えられていないということです。

荘厳である以上、真と心としては同じでなければならない。

むしろ手順や舞台設定が省略されるので、むしろ荘厳の難易度は、草のほうが高いかもしれない。

だったらやはりちゃんと茶道を習って、茶事をするしかないか、、とは言いたくない。

茶道を稽古してそれを超えていけばいいのですが、抹茶臭さに染まってそれに気づかぬまま(というかそれこそが茶道なのだと思い込んだまま)死んでいく人生というのは嫌だからです。

それならば、まだしも抹茶臭さに染まっていない在野の、野生の茶の湯を発展させたほうが可能性は高いように思います。やっている人間からすれば微笑ましいような内容でも、そこには実存が介在する可能性が高い。茶人はそれを参考にして、自分の茶の湯をリフレッシュさせていけばいいと思います。

で、草の荘厳。

これは自宅用の茶箱をつくるか、マットを活用していくと、なんとか舞台設定ができるような気がします。あと和ろうそくとお香が、自宅では役に立つかなとも。昨今の中国茶がやたらおしゃれなので、そこらへんにヒントをもらうのもよいかもしれません。

ただ茶の湯はやっぱりおしゃれとは少し遠ざかっていたい。というかそれが本質ではないという前提で、組み込みたい。ギャルソンとcomoliの間。

道具としては茶碗、茶杓(これは一番お金をかけてください。)、茶筅、棗(もしくは薄器)、茶巾(清める手順は省略しないほうがいいでしょう。)、鉄瓶、炉、菓子皿(下手な菓子皿を使うくらいなら、懐紙のほうがよっぽどよい雰囲気です。なんかグレーっぽい懐紙とかあってもかっこいいかも、、とふと思うなど。)、黒文字。菓子切もだいたいのものより、黒文字のほうが安定したスコアを出せます。

これらにくわえて、草の荘厳ならではの道具が必要になる。

なぜかというと、普通のテーブルというのは大した雰囲気を作り出せないからです。いや、違うかもしれないけど、とにかく少し演出が必要です。

続きはまた書きます。

正座

茶の湯の鬼門ともいうべき正座。

色々と合理的に作られている茶の湯の作法のなかでも、もっとも弁護しづらいもの。

審美的には、やはり美しいとおもう。

人体がコンパクトにまとまるし、凹凸が少ない。茶室の気を乱さない。

けれど不評も多く、悪習であるとみる向きもあろう。

ぼくもその点では肯定しえないでいたが。。。。

先日とあるお客様に「ととのう正坐」というのも教えて頂いた。普通の正座(というのも変だが)と全然違うらしい。

野口体操の系譜に連なるお方のようである。今度僕も参加してみようとおもっている。

茶の湯は茶室+正座を前提に構築されているから、それを崩すとそこからの再構築が結構難しい。

単に掘りごたつにして、半東が運ぶようにするとか、そういうのはあまりいいとは思わない。

一変えたら十変えないといけない。

細部と全体は不可分なのであり、細部こそ全体であるので、細部をかえたら、全体を変えないと、全体が変わらないと、それは嘘である。

ぼくは基本的に立礼がすきでないのも、あれは半分くらいしか変わってないからである。

その意味で、もし良い正座と悪い正座というものがあり、そして良い正座が身に付けられるものならば、まずすべきは茶室を変えたり、座椅子を使ったり、立礼をするのでなく、良い正座を身につけるというのが、茶の湯の稽古の基本となるべきではないだろうか。

身体への負荷よりも美が勝るという価値観は良い。だが、身体への負荷が減るならば、それを試してみれば良い。負荷自体は美徳ではない。ただ美に対して跪くというのは美徳として存在しうる。

ただ人にたいして何が何でも正座しろ、とは言えない。しかし、自ら「やっぱり結局正座しかないな、、、」と諦め、それを把持する人、以外と、茶室のなかで、本当の一座建立が出来うるのかは、大いに疑問の残るところである。

茶の湯とは?

茶の湯とはなんぞ?

色々な考え、捉え方がありますが、今回は中国茶との比較で。

とある作家さんから中国茶(を茶の湯に組み込むこと)の示唆を頂き、最近勉強というか、飲み始めています。

5-10年前、たしか武蔵小杉の?、中国茶屋さんで飲んだお茶が美味しくて、しかしそれ以来全然飲んでなくて。

最近上記のヒントに加えて『中国茶のこころ』という本を読み、素晴らしかったので、あらためて中国茶の世界に飛び込んだ次第です。

さて、中国茶は味を大事に考えます。まあ嗜好品たるお茶やコーヒーはもちろん味が大事です。

しかし、茶の湯では闘茶という前史を踏まえ、味については不問というスタンスです。

これは結構驚くべきことではないでしょうか。

抹茶(濃茶薄茶)は嗜好品としての立場を捨て、茶の湯のフィールドにおいては、他のものと同格という扱いに退いているようにみえます。

茶の湯においては道具組、設えが大事で、かつ、「茶を飲むという行為そのもの」が大事であり、味については、価値として最上位にくるものではない。

いわば主従の関係が反転しているようにみえます。この価値転倒を可能にしたのは禅の思想や、時代背景など、

いくつかの要因が考えられそうです。そしてそこにこそ茶の湯の肝がある。

道具道楽はこの反転のいわば堕落した形態なのでしょう。道具は大事だけれどもそれに淫してはいけない。

飲んでも飲まれるな、というやつですね。

茶の湯が紛いなりにも数百年続いたのは、家元制度などにも因るところがありましょうが、この味を捨てたという思想の故ではないかとも思えます。

味は大事である。けれども大事ではない。

この意味をもう少し考え続けたいなと思っています。

さてここで問題になるのが、中国茶を茶の湯に組み込むという話。形式的にも、思想的にも、整えていかないといけません。

注意喚起のアーカイブ

【重要なお知らせ!!】

support@rigan.jp からメールが来た場合、何も操作せず、破棄してください。また離岸までご一報いただけると幸いです。

〈概要〉今日6/9、離岸のメールアドレス宛に、「support@rigan.jp」なるメールアドレスから不審なメールが送られてきました。「support@rigan.jp」というメールアドレスは離岸で作成しておらず、悪意ある第三者によって運用されているものと考えています。従って、「support@rigan.jp」からメールがお客様へ届いた場合、メール内のリンクなどは決して開かず、破棄してください。

この事案は2023年6月に発生したものです。

吉野敬子さんのこと

5/20に吉野敬子さんがご逝去なさったということを、さきほど知りました。

謹んで哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈りいたします。

離岸オープンの前、新宿柿傳のギャラリーで初めてお会いして、吉野さんの作陶に対する姿勢や唐津のことなどをお話させていただきました。吉野さんの唐津に対する愛情(一度は自ら離れた土地であるわけですが)をひしひしと感じ、畑の作物を育てるように、という焼きものに対するスタンスも、吉野さんの思想が表れていて感銘を受けました。

あの時が離岸としての作家さんとの初交渉で、緊張しきりでしたが、暖かくお話を聞いていただき、また唐津の作家さんをご紹介してもくれました。離岸のオープンにむけ、様々な作家にコンタクトしては断られる中で、初めてお会いしてくれたのが、吉野さんでした。

その後、吉野さんの櫨ノ谷窯を訪問し、お父様の作品と吉野さんご自身の作品をみせていただきながら、縁側で陶芸のこと、今の日本の文化のこと、唐津のこと、たくさんお話させていただきました。古唐津の陶片を出してきて、ひとつひとつ愛おしそうに眺めながら、嬉しそうに昔の陶工の技を語る様がはっきりと思い出されます。

話し込んでいるうちにだいぶ時間が経ってしまい(櫨ノ谷窯はすごくいいところで、つい長居してしまうようなところです。もちろん吉野さんのお人柄も大きいのですけれど)、次の場所に行く時間になってしまったので買いつけもできず、仕入れなどはまた次回、、といってそそくさと吉野さんのところを辞しました。

その後、買い付けのアポイントを取ろうとご連絡したら、ご体調が良くないということで、来年以降仕事を再開する、とお返事がきました。

インスタなどの更新もあまりされず、気になりつつも、少し待ってみようと距離をとっていました。そのうちにどこかで復帰の展示会などするだろうから、その後でまたご連絡してみようか、なんて考えていました。

結局、吉野敬子さんの作品は離岸では扱うことが叶わず、手元にある吉野さんの作品は、柿傳で求めた茶碗がたった一つとなってしまいました。

吉野さんがいなければ、離岸は(少なくとも)今のようなかたちではオープンできなかったでしょう。僕と離岸にとって計り知れない恩人でした。それに何も報いることができなかったのは(弊ギャラリーに出来ることはたかがしれていますが、それでも、)悔やまれることです。

櫨ノ谷窯に併設されたカフェ、やぎ、畑。お父様がお作りになった茶室(おおらかな腰掛)。半農半陶の暮らし。

もっとたくさんの作品を見たかったし、またお話したかった。

パーフェクト・デイズ

予告編だけで泣けるやつ。ルー・リードと役所広司とヴィム・ヴェンダースなんて、最高でしょ。