BLOG店主日記

斑唐津 (『陶説』666 )

圧倒的に、本を整理している。広告の多い雑誌類はスクラップブックにし、一般的な書籍はスキャンピーで電子化して、家にある本の質量を減らしている。

その一環として、陶説も、適度に整理する。陶説はこのブログでかいつまんで記録することにした。まあ自分用のメモであるので、このエントリはご笑覧ください、の類である。

斑唐津(白唐津)。

酸化焔→ピンク、中性焔→白。

(彫唐津は巌が好き。)

斑唐津釉は2系統ある。その1:朝鮮半島系。咸鏡北道。かや、すすき、などの茅灰釉。伊万里市松浦郡の藤の川内茅の谷系の斑唐津は朝鮮半島由来。鍋島直茂(1538-1618)の朝鮮出兵で咸鏡北道明川郡の陶工を連行した。彼らはその後伊万里市松浦郡の藤の川内に移った(『葉隠聞書』)。焼成温度は1180℃。その2:中国系。中国南部地方。藁灰釉。北波多、帆柱系はこちら。中国興安県厳関鎮に出土したものが、岸岳系古唐津のものと似ているらしい。松浦水軍がここから陶工を連れ帰り、帆柱を開窯したらしいが、地図をみるとかなりの長旅である。焼成温度は1350℃。

朝鮮系はガラス成分が少なく、媒溶剤が多い。中国系は逆。その違いが焼成温度の違いとなっている。


1587年、秀吉が九州平定。

1588 岸岳城主 波多氏 対秀吉用に陶器生産に本腰をいれる。波多氏は秀吉による島津氏の討伐には兵を派遣せず、秀吉の印象は悪かった。しかし、朝鮮出兵を考えていた秀吉にとって、拠点地である名護屋の支配者である波多氏の利用価値を認めた事や、鍋島直茂の取り成しもあり、形式上、豊臣氏の直臣となった。ただ、この後も波多親はマイペースな独断をやらかし続け、最終的に秀吉から見捨てられる。

1594 波多氏がいなくなり、陶工も散り散りとなる。陶器生産は佐賀県南部に移る。また、朝鮮出兵(1592-93,97-98)により連行した陶工が増え、伊万里、武雄、多久、有田など広域で陶器生産がはじまる。

1591-1615(慶長年間) 織部の台頭により、唐津も織部の影響をうける。絵唐津の流行。

1615 織部切腹。以後、絵唐津は廃れ、無地になる。このころ磁器生産がはじまり、三島や二彩唐津が主となる。輸出もされる。胎土目積みから砂目積みとなる。叩き成形の水指は1610年代をさかいに、みられなくなる。鍋島家は宇治の上林から茶を仕入れていたが、1620年頃の記録に唐津叩き成形の茶壺が上林に数多く届けられたとあるから、茶壺はつくっていたらしい。

1637 窯場整理。

1650- いろいろ。献上唐津など。幕末まで。


金原陶片の狂気に田中丸が出会う。田中丸、古陶磁研究会を発足。週一で玉屋の会議室で勉強する。

金原は蒐集品の箱書きに「名称」「寸法」「焼成した窯とその所在地」「焼成時代」「書付年」「雅号」を記した。

田中丸、光悦会理事となる。崇福寺に宗湛庵をつくる。

「わたしは名器であればあるほど、毎日の生活のなかで味わってみたいと心がけている。」


褐釉印花文の製品は武雄南部の窯で焼かれた。

加湿器

乾燥の季節、加湿器の季節。

クラヴィコードの過乾燥をふせぐためにも、加湿器は欠かせません。

加湿器はとにかく手入れが面倒で、頻繁にやらないといけないのが大半で、数年前に加湿器というものを使い始めたときから、手入れが簡単、ということを基準に選んできました。

結論から申しますと、性能、手入れの楽さなど総合してダイニチのものが最高です。

一番カンタンなのは象印などの湯沸かしタイプ。しかし電気代と有効面積?がネック。

つぎはVenta。 ダイニチに出会う前にはベンタを使っていましたが、ベンタは一度日本から撤退し、消耗品もいつまで続くかわからないといった状況でした。撤退というか、代理店が本国から契約を解除され、その代理店も事態に混乱している様子で、先行きが不透明だったため、すてました 。

デザインや製品の思想は気にいっていたので、大変残念でした。しかしベンタ、最近調べたらなんか復活してましたね。

ベンタかダイニチかという選択ですが、今年ダイニチが手入れ不要の使い捨てフィルターを発売!!!!

これとかんたん取り替えカバーの併用で、シーズンを通してほぼメンテナンスフリーになったので、これはダイニチを継続するしかないという考えです。

内部のフィルターを洗わなくていいのは、決定的に楽です。

もう2週間ごとのクエン酸(と重曹)の儀式から開放されたのです。

というわけで加湿器のおすすめはダイニチのものです。

法華経

雨曼陀羅 曼珠沙華 栴檀香風 悦可衆心

-序品

この経を受持し、若しくは読み、若しくは誦し、もしくは解説し、もしくは書写せば、八百の鼻(び)の功徳を成就せん。この清浄の鼻根を以て、三千大千世界の上下・内外の種々の諸の香を聞がん。曼珠沙華の香、しゃだいけの香、まつりかの香、贍葡華の香、はららけの香、赤蓮華の香、しょうれんげの香、白蓮華の香、かじゅの香、栴檀の香、沈水の香、多摩羅跋の香、たからの香、及び千万種の和香の、もしくは抹れる若しくは丸めたる若しくは塗る香を、この経を持たん者は、此間にとどまりてことごとく能く分別せん。また、衆生の香、象の香、馬の香、牛羊の香、男の香、女の香、童子の香、童女の香、及び草木叢林の香、若しくは近き若しくは遠きあらゆる諸の香をわきまえ知り、悉く皆聞ぐことを得て分別して誤らざん。

この経を持たん者は、ここに住すといえども亦、天上の諸天の香をも聞がん。パーリジャータカの花、コーヴィダーラの花、マーンダーラヴァの花、マハー=マーンダーラヴァの花、マンジューシャカの花、マハー=マンジューシャカの花、天上の沈香、栴檀の種々の抹香・諸の雑華の香、かくの如きの天香の和合して出す所の香を、かぎ知らざることなからん。又、諸天の身の香をかがん。五欲に娯楽し嬉戯する香り、忉利の諸天のために説法する香り、遊戲する香り、男女の身の香りを悉く遥かにかがん。

是人鼻清浄 於此世界中 若香若臭物 種種悉聞知

-法師功徳品

清浄な鼻は、衆生の匂いを知り、人々がどこにいるかを知り、大地に含まれた鉱物を知り、宝石や衣装や化粧品を知り、立っているか、座っているか、愛欲の楽しみに耽っているか、神通力を備えているか、すべて嗅覚によって知る、とある。

山林に入り、そこにどんな生き物がいるか。

妊婦の胎児の性別、流産するかしないか、分娩時の苦痛はあるかないか。

人の性格、情熱的だとか、悪意があるとか、偽善者だとか、心が平静であるとか。

あらゆる事柄を、匂いによって知ることができると、書かれている。

いわば嗅覚は第六感のようなもので、非言語的な情報を感受する器官だともいえる。

ふつう人間は、日常生活の中で、そこまで嗅覚を研ぎ澄ませることなく(=その能力を発達させることなく)生活するので、能くわからないが、嗅覚を鍛えるというのは、人が無意識のうちに取りこぼしている情報にアクセスできるということである。そうした鋭敏な感覚は、現代社会にあってはむしろ不都合なことも多いから、嗅覚は鈍磨させておいたほうが、むしろ都合がいいのかもしれない。

けれど、その鈍磨しきった嗅覚が、複雑で奥行きのある香りを嗅ぐことで知らぬ内に鍛錬されると、そこにはまた別の楽しさが待っている。

匂いが人の心理・情動に与える影響はかくも大きい。嗅覚はもっともケモノに近い感覚器官であり、人の本能を刺激し、揺さぶる。

だからこそ、日々他人との密な接触にさらされる私達は、匂いを消し、匂いを隠し、匂いを別の匂いで覆うことで、なんとかどうしようもなく揺さぶられる本能と折り合いをつけている。匂いを楽しむよりはむしろ匂いに蓋をすることで匂いと付き合っている場面も少なくない。

そのような消極的な匂いとの付き合いではなく、積極的に匂いを楽しむことといえば、香水である。

香りを纏うことは、衣服もまとうことよりも一層繊細な作業で、かつその人の欲望を表してもいる。

香水には様々な種類があるが、そのどれもが西洋で発達したもの(をベースとした文化)であるから、その文化外の文化を知るものからすれば、強いと感じることも多々ある(香水ではつける場所も肝心だが、安易に手首などに付ける人も多いのかもしれない、すれ違いに辟易するのは、匂いの安っぽさとはべつに、付け方の問題もあるだろう)。

ゆらすかおりの香は、香水のように、あるいはアロマのように、強くはない。むしろ儚く、やさしい。

その弱さにこそ、幽玄が宿る。

香りに陶酔するのではなく、香りによって心が整えられる。刺激やエロスはあくまでその静寂のなかに包まれている。だからその「弱さ」は退屈ではなく、むしろ焚きしめるたびに新たな発見があるような奥深さがある。

ゆらすかおりを紹介するときに難しいのは、いかに人々の「お香」のイメージを覆せるか、ということに尽きる。

それは製法からしてその他の市販のものとは全く違うし、今井麻美子の調合の術もある。

ゆらすかおりは香水、お香とは別の第三のカテゴリといってもよいくらいだ。

まあ騙されたと思って、一度使ってみてほしい。としか言えない。

なにせ体験しないとわからないものなのだ。

Fragments about incense 

11/4より開催の〈ゆらすかおり展〉にむけて。

関口真大『匂い・香り・禅』より

香料や香辛料はほとんどみな東洋の特産物であった。豊富な香木、香花、香果に恵まれた条件を持った東洋では昔からそれらが大いに利用された。三千年の昔より、神秘な儀礼にも日常の飲食物にも、異性に対する魅力のためにも、(中略)種々の匂いが利用され、やがて匂いの芸術が成立するほどまでに匂いの文化が発達した。

東洋の神話では、匂いの精が美の神や音楽の神として活躍する。また人間の生命を奪う怖ろしい悪神としても活躍している。

匂いは一説には約40万種あるとされる。そして科学的、学術的に分類し、系統だてるのが難しい。

匂いは、味覚や触覚よりも心の奥を揺さぶる。匂いは理性(大脳新皮質)を経ずに、情動・本能・記憶を司る大脳辺縁系に直接伝達される。そのため嗅覚は、他の視覚、聴覚、触覚、味覚と違い、直接本能に作用する。

匂いは濃度によって質そのものが変化する。糞便の匂いであるスカトールが希薄になるとジャスミンやオレンジのような花香を放つ。

香料を大量に使用する化粧品。香水はいわずもがな、せっけん、歯磨き粉、洗剤、入浴剤など、商品の売れ行きは香りによって大きく左右される。お茶やコーヒー・紅茶などの飲料でも匂いは重要な要素だ。また酒類においてもその商品価値を決めているのは匂いである。

香料を使用する諸産業により、合成香料が発達してきた。合成香料は天然香料の主要成分のみを真似する。天然香料は、主成分のほかに、実はいろいろな成分が複雑に組み合わされている。だからそれらの合成香料をどれほど巧妙に混ぜ合わせても、天然の香料の発する匂いは得られない。人工品には、いつも大事な何かがかけている。

美しい匂いは心の奥にまで沁み渡り、妖しい匂いは身も心を蕩かす。この妖しく美しい匂いから人類は2つの芸術を作った。一つは西洋の香水、もう一つは日本の香道である。

匂いは人間の持つ感覚のうちで、下劣なものから高尚なものまで、もっとも幅広い範囲をカバーする。食欲・性欲に直接に作用する匂いから、神仏に捧げるものとしての香りまで、およそ人の文化史の全範囲において、匂いは人に作用してきた。

香道は、香りによって心を清め、人間の品性を高尚なものに高めようという幽玄の世界である。

平安期、日本人は匂いに対する優れたセンスを発揮させ、薫物といわれるものを発達させた。薫物は粉末にした香原料にはちみつをまぜて練り合わせた練香である。貴族はめいめい自分の調合をつくり、そのレシピは家伝として秘密にした。ときにはそれを持ち寄り、優劣を競い合う薫物合わせという競技も行った。練香はのちに茶の湯でも使われるようになった。

法華経における香りの描写を見よ。