BLOG店主日記

冷泉為恭

2023年、あけましておめでとうございます。離岸がオープンして早7ヶ月、色々な出会いがありました。ギャラリーをやっていて楽しいのは、作品ももちろん好きですが、お客様とお話するのが楽しいのだと気づきました。というわけで本年も離岸にお越しいただけますと嬉しいです。

さて、新年、掛け軸は子の日の遊び、松の根曳きのものを飾っています。作はタイトルにもある冷泉為恭(れいぜんためちか)。

主題となっている子の日というのは十干と十二支を組み合わせた六十干支で表される日付のなかで、新年最初の子の日のことです。です、とかさも当然知っているかのように書いていますが、当然調べながら書いています。茶の湯は本当に日本の文化の宝庫というか、色々知らないことがわんさか次から次へと出てくるので、大変です。離岸を始めてから初めて知ることばかりです。

で、子の日、2023年でいうと、1/6が甲子で最初の子の日ぽいです。つまりこれを書いている今からすると、明日ですが、明日松林に行き、赤ちゃん松を引っこ抜いて、その根の大きさ、長さなどで占う遊びが子の日の遊び、松の根曳きです。転じて、根っこ付きの松は縁起物とされるようになったようです。

松の根っこを引っこ抜いて何が楽しいのか、いや、実際にやってみたらそれなりに楽しいのかもしれません。とにかく平安時代の貴族の遊びとは、かくも高雅なものであったかと、感嘆の念を禁じえません(庶民もしていたという説もあり?)。

そんなことを昔の人々がしていたのは、娯楽が今に比べて圧倒的に少なかったから、、というより、人間と自然の関係性が、今とはだいぶ異なっていたからだと推察します。丸谷才一の『後鳥羽院』という本がありますが、その中で考察されていることとはなんとなく、松の根曳きという遊びの中に当時の人々が見出していた感覚を類推するヒントがあるように、今ふと思いました。どういうものか、うまく言えませんが。

そして本題である冷泉為恭のことですが、冷泉家というのは平安末期から続く公家の家系です。今も宮中と並んで歌会をするなど、貴族文化を継承するご由緒あるお家柄です。しかしこの冷泉為恭は、なんと冷泉家の人ではありません。つまり貴族でもなんでもありません。自分で勝手に冷泉と名乗っているだけです。何故なのか。

もうだいたいウィキペディアの知識になりますが、冷泉為恭は1823年、狩野派の絵師の家に生まれました。親は狂言師になってほしかったようですが、為恭は復興大和絵師を志します。

大和絵というのは典型的には源氏物語絵巻などの絵ですね。日本が大陸の影響を脱して、独自の文化を形成していく時代に、絵画でも日本独自の美意識に基づく様式が生まれ、そのため自負をこめて「大和」と冠したのでしょう(当時は様式ではなく題材による区別だったようですが)。そして復興大和絵というのは、近世において、平安・鎌倉時代の大和絵の復興を目指すものです。

為恭の頃、大和絵には土佐派など伝統的な絵師がいましたが、形式的になっていて、つまらない絵だったようです。つまりそれは本当の「やまと心」を表現したものではなく、まがいものだと意識されていたのでしょう。そのような状況を憂えた絵師に田中訥言という人物がいて、彼が復興大和絵の第一人者だということです。

その田中訥言に、冷泉為恭は私淑し、独学で各地の絵を模写するなどして、王朝美意識を復興させるべく絵を書き続けます。狩野ではなく、冷泉と名乗ったのも、我こそが、真に王朝の美を継承するものであるという信念(思い込み)があったからだと思われます。

冷泉為恭は1850年に岡田家という天皇の秘書的な家系の家の養子になったのですが、これもやはり王朝への憧れからなのでしょうか。冷泉為恭の王朝への思慕は徹底していて、住居、衣服、生活様式も王朝風にして暮らしたそうです。

なにが彼をここまで王朝に熱狂せしめたのか、知るよしもありませんが、開国をせまる外圧のなかで、なにか日本人としての精神的支柱を求めたのかもしれません(黒船来航が1853年)。それだけではもちろん説明がつかないわけですが。もちろん、平安時代の貴族文化の独自性、華やかさ、そして文学性は(僕はほとんど知りませんが)素晴らしいものなので、憧れ、追い求めるという気持ちはわからなくもありませんが。

ところで為恭は晩年は尊皇攘夷派の人間からスパイだとみなされ、逃げ隠れるために僧侶になったり、ニセの自分の墓をつくったりまでして、逃亡生活を送りましたが、結局追手に殺されてしまいます。幕府側のところに出入りしていたことで嫌疑がかかったようですが、これは絵を模写するためだったそうです。

僕は(飾っておいてなんですが)平安の宮中の文化、王朝文化にはさして興味はありません。しかし、この冷泉為恭はとても興味深いと思っています。

一口に日本文化といっても、平安の貴族文化、武士の文化、町人文化など、様々ですね。茶の湯はこのいずれとも関係しています。