茶室の基本の大きさといわれる四畳半。離岸の茶室も京間の四畳半となっています。
侘び茶の開拓者、村田珠光(1422-1502)が定めたと言われています。
茶の湯でいうと、小間としても、広間としても使えるサイズ。起源について問うても詮無いほど、使いやすい、丁度いい広さであるこは確かですね。
今日まで四畳半がスタンダードとなっているのは、思想的な面から受け継がれているというよりは、実際的な使い勝手から健在していると考えるほうがしっくりきます。美味しいレシピがその起源を問うまでもなく受け継がれることに似て。
トキワ荘も全室四畳半であったというのは面白いですね(もちろん意味合いは違いますが)。
珠光がなぜ四畳半したか、というのはわかりませんが、方丈をヒントにしたのかも、と僕は思います。
(1丈は10尺なので、約3メートル平方メートルの空間が方丈となります。四畳半は畳が京間サイズですとだいたい方丈くらいの広さです。)
珠光は一休宗純に参禅していたようで、その一休は維摩経におおきな影響を受けたそうです。だとすれば、珠光が維摩経に親しんでいたとしても不思議はない。
維摩経の主人公である維摩居士が住んでいたのがまさにその方丈でした。あるとき、維摩居士が病気で寝ているので、お見舞いしようと文殊菩薩とその仲間が訪ねたとき、全員がその狭い方丈に収まったという話や、維摩居士が菩薩やらを何千何万と召喚したのが方丈に入った、、、などの伝説があります。転じて、「方丈には全宇宙が内包されている」という考えが生まれたとか。
ところでこの伝説から僕が思うのは、ミクロコスモスと考えられるから方丈(とそれに基づくと考えた場合の四畳半)が尊い、のではなく、古代から、人間にとって方丈くらいのサイズが、ある種の生活をする上で、しっくり来るものであったという事実への興味です。
独りで起居するのに、広すぎるということはない。余りモノを置かなければ、狭すぎるということもない。
思考を表現するスペースとして、サイズがその邪魔になるということがない。
沈思黙考するのにも、のんびりするのにも、静寂を味わうのにも、適切な。(逆に、大勢でどんちゃん、わいわいするのには不向きですね。やはり多くても3,4人でまったりするのが吉。)
きっと、方丈ないし四畳半というのは、人間的なスケールで考えてちょうどいい空間だということなのでしょう。
(とはいえ、戦国の大名にとっては異例の、前代未聞の狭さであったと思いますが。ところで当時の農民や下級武士?やらはどのくらいの広さの部屋で起居、生活していたのでしょうか?日本の僧侶には個室があった?瞑想部屋(?)として四畳半くらいの部屋を使っていたりした?
、、、珠光が維摩居士の伝説を知ったいたと仮定しても、それ以外に現実世界で、日常で、四畳半くらいのスペースに慣れ親しんでいたのでしょうか?)
現代にも通じる、私的な領域の雛形としての四畳半。
かつ、珠光の四畳半は一休を経由して維摩居士的な宇宙を内包するものとしての方丈に邂逅する。
この四畳半という広さと人間との関係性について、人類学的な研究などがあったら面白そうですが、寡聞にして知りません。
なんか不思議ですよね、四畳半って。