BLOG店主日記

福岡の屋台文化

いっとき、福岡市東区に住んでおりまして、天神のあたりもよく行きましたが、天神の屋台には一、二度しか行ったことがありません。

福岡は基本的によそ者ウェルカムな街で、温かいところです。僕の場合は、どちらかといえば一人でいるのを好むため、屋台の距離感の近さ、隣の人と一緒に飲むみたいなノリがそんなに得意ではありません。(たまにそんなモードの時もありますが。)

茶の湯はその点、淡交ですから、いいのです。

でも日本含む東アジア(東南アジア?)の屋台文化は興味があり、なくなってほしくはないと、思っています。

地元住民との関係性のなかでの模索になるのかとはおもいますが、制定された条例が屋台文化にとって良い作用をもたらすといいんですが。

この動画をみつけたのでこのエントリを書こうと思いました。ハートウォーミング。

いのり

色々なうつわをみていると、やっぱり古いものがいい、という気がしてくる。

時の洗礼を受け、かつ時間を経て風格を増したからではなく、

古くて、現代に残っているものは邪念が無い(あるいは昇華されている)ものばかりだから、という思いを持つ。

現代の工芸家は、それこそ西洋近代の個人主義・作家性の思想をベースにしているから(か)、どうしても、自分なりのものをつくろうと、意気込み過ぎている。

それこそ「芸術的」な茶碗なども溢れている。がしかし、それは芸術自体を勘違いもしているし、まして工芸にとっては必要ない自意識である。

個性は追い求めずとも呪縛のように常にそこにあるもので、それをなんとかなだめすかして、一意に、専心して、祈るように、まっすぐに、形作る。

僕はそういったものを好ましいと思う。というのをここ最近、再確認した。

それは外面的な要素にはおよそ関係がない。シンプルなものに祈りがあることもあるし、シンプルなものに祈りの無いこともある。絢爛で派手なものに祈りがあることもあるし、絢爛で派手なものに祈りのないこともある。

祈りのある作家。祈りのある作品。

祈り。それは自分を超えた物に向かって自分を投げ出すという営みである。

そしてもうひとつ大事なのは距離の問題。祈りというのは、同時代性からの剥離でもある。現代にべったりという距離感ではなく、今ここから剥がれ落ちて、それで大きな迂回路を通って、また今ここへと戻ってくる。

祈りという営為とそれに伴う距離の問題。

これは今後離岸として扱う作家の選び方の基本方針でもあるので、ブログというかたちで公開してみた。

村上三和子さんと梶原靖元さんのコラボ展のDMに書いた文章も、結局は同じことなのだ。

自分よりも「大きなもの」があること、そのことを信じている作家。それに向かってゆく作家。

これからも、そういう方々と新しい出会いを持つことができたら嬉しい。

最近のあれこれ

近況といえば、まず、入院ですね。6年ぶり人生2度目。

今回は病室とトイレとお風呂以外、どこも出歩けないのが、きつすぎる。

前回は自由に動けたので、1ヶ月の入院でもなんとかできた。

今回はどれくらいになるかわからないけど、やばい感じがする。今日で3日目だけど、しんどい。

お店をお休みして、皆様すみません。なるべくはやく帰りたいと思っています。

やっぱり1mgとはいえ、プレドニンを飲み続けていると基本免疫が落ちてると実感する。困ったものだ。とりあえず溶血はしていなそうなので、それはよかった。

療養の友としては、『地図と拳』、『鉄鼠の檻』、ドラマ〈戦争〉シリーズ、『書楼弔堂 破暁』など。超魔神英雄伝をみたいけど、サブスクするのをためらっている。

そして目下はShopify のコードを編集している。 商品をカテゴリ別に一覧でみれるのだけど、そこにはfilter と sortという機能がある。フィルタは金額の範囲指定、ソートは並び替え。このソートのアルファベット順(昇/降)を非表示にしたいのだが、苦戦している。

眠いからか、へんな文章だ。

宮迫正明さんの展示会にいってきました

昨日、2022/11/24、銀座の一穂堂ギャラリーで開催中の宮迫正明さんの展示会にいってきました。

新作、素晴らしかったです。

これまでの日本画と異なり、ご自身が収集なさったアンティークの素材などをふんだんにつかったものを支持体として、コレクションと日本画という宮迫正明さんの2つの人生が非常に洗練された形で結晶していました。

単なる平面作品ではなく、かといって立体作品というのも違う、日本画の手法に染色や表装などの技法が加わった独自の作品群は、宮迫正明さんの新境地でありながら、とても自然な佇まいでした。

宮迫さんのコレクション自体も素晴らしかったです。。必見です。