BLOG店主日記

月 睡 



月落江都睡正濃
波心牽動一絲風

断橋妙倫

https://www.gotoh-museum.or.jp/2020/10/03/01-067

賀新陽 鳳凰 自然蕷 養老糖

凍餒百餘僧鳳凰 各展臘扇賀新陽
壁懸碧目紫髯老 瓶入氷肌玉骨芳

編茅包贈自然蕷 封圈寄來養老糖

白隱慧鶴

養老糖というのは実在した岡山県の菓子屋さんがつくっていたお菓子のようです。白隠慧鶴は静岡にいましたが、諸国を旅したときに出会ったのでしょうか。

http://www.city.soja.okayama.jp/data/open/cnt/3/9162/1/06.yoroto.pdf

百花誰為開

『新版一行物上下』を参考引用文献として。

だれの為に、というような功利的世俗的な考えを飛び越えてただ無心に咲く花を、至上とする。

実際には進化の過程で子孫を残し易くするための機序として花の姿態はあるかとも思うが、それは花自身の知るところですら無いのかもしれない。

柳生宗矩の活人剣の一節に、

神うちにありて、妙、外に顕る、これを神妙と名付けるなり。たとえば一本の木に、内に神ある故に花咲き匂い、みどり立ち、枝葉しげるなり。

などとある。

世阿弥はかたちなき妙体、なすところのわざに少しもかからわぬ無心、妙花風、などを芸道の至高としている。

美しく咲く花を、見返りを求めずに万人に対して注がれる慈悲と解釈し、観音菩薩そのものとする解釈もあるようだ。

作為の臭みから逃れるというのは大事なことでーなぜならやはりその方が美しいと思うからだが、そこに至る道は色々にあるだろう。

池塘春草生

禅では草むらは煩悩の象徴とされ、悟りの境地は冬の冷え枯れた景色によって表されるようです。

煩悩の否定、超克という意味で、冬の冷厳とした風情が好まれるのですね。

そうなると、春という生命の芽吹く季節は、欲望が首をもたげる季節でもあって、好ましくない。

ただ、その自然に備わった煩悩をただ否定するのではなく、自然な色気として受け入れてこそ、より高い境地にあると、この語は伝えているようです。

あるいは修行の厳しさを周りや他者に強いるようにして、場を冷え固まらせる。それも、悟ったようでいて、独善的な態度である。だから、自分には厳しくも、場を和ませたり、柔らかくすることができるのが、本当の覚者だ、という意味もあるのだとか。

平たく言うと、思いつめすぎてはいけないよ、、、ということでしょうかね。しかし、これは一度も思いつめすぎたことの無い人間が、軽々というべきことではない、とも思いますので、まあ、とにかくいろんな経験を積みましょうと、そんな落とし所で解釈しております。

残菊

(お菓子の銘にも使われたりする残菊という言葉についてちょっと調べてみたら面白かったのでメモしておこうというお話)

ところで、おもしろいブログとか、僕はどんどんリンクを貼りたいのですが、リンクされるのを嫌う方もいらっしゃるので、悩みます。いちいち訊くのも面倒ですしね。そもそもインターネットってハイパーリンクなんだから、それこそウェブ的につながってこそ、と思うのですが、つながる、ということは、人間にとっていろいろと難しい問題ですね。(エヴァしかり。)

こういうとき、ありえなかった未来としてのザナドゥはどんなだっただろうと、思うことがあります。そんなこんなで、今回の残菊譚には発端になったブログがあるのですが、それには言及せず、そのブログの元ネタとなった論文をご紹介しつつ、展開します。

残菊というのは、重陽の節句すなわち九月九日を過ぎても咲いている菊のことです。過ぎても咲いている、ということ、残という漢字の意味合いがこのエントリの主題です。残。厨二病らしくもあるこの響き、僕は好きです。ロマサガ3の地ずり残月とか、そういう類のものです。

重陽の節句というのは中国発祥の文化です。陰陽の思想が影響力をもつ中国では、9は最大の陽数(奇数が陽、偶数が陰)として大事にされました。したがって9が2つ重なるその日は、とても縁起の良い日として、長久や無病息災を願う行事をしたそうです。

面白いのは重陽はめでたいのですが、逆にめでたすぎて危ないと、古代の中国の人が思ったことです。そのため、菊を服用して健康を得たり、邪気を祓ったりということもしていたようです。そのような具合で、菊というのは、重陽の時期に咲くマジカルでエネルギッシュな花という地位を得ました。

菊はこのように重陽の節句には重宝されましたが、翌日、九月十日になれば、もう無用のものになります。「菅原道真詩文における残菊をめぐって」という論文によれば、古代中国において残菊は「菊が重陽という一番いい時期を逃したことに対し、心理上において、それを価値のない、欠点のあるものとする」という意味合いで使われたそうです。

このように中国では残菊は否定的なイメージをまとう語であったため、詩歌において積極的に詠まれる題材にはなり得なかった、と先の論文の筆者は主張しています。ひるがえって日本では残菊はどのようなイメージで捉えられたのでしょうか。

論文の筆者は菅原道真の詩において、残菊は「独」や「孤」という語とともに使われていることを指摘しています。「独」は単に独りという以上に他者を凌ぐ、独占するなど積極的・拡張的なプラスのイメージを持つ語とされ、「孤」は、寂寞とともに品格の孤高さを表現する語として使用していると言います。つまり、日本では、少なくとも道真公にとっては、残菊は必ずしもマイナスのイメージでは捉えられていないどころか、賛美の対象ともなっているといいます。

もうひとつは、中国では残菊=九月十日であるのに対し、菅原道真(日本)ではもっとひろく秋、晩秋の時期まで含むという、時期の違いについても指摘されています。日本では重陽がそこまで根付かず、一方で菊を秋の遅い時期まで賞玩する風があった。そしてそれは〈99〉という一つの頂点を賛美するという文化ではなく、時のうつろい、時間による変化、流転を楽しむ文化という違いに表れています。

つまるところ、「残」とはうつろい、流転、変化の謂で、時間を内包した表現であるということです。茶の湯もまた、時間の流れ、季節およびその変転を愛でるものです。だからこそ、残菊ということばが、茶の湯の文化圏においては今も生き続けているのでしょう。思えば、残心という言葉もまた、うつろう時間を内包したものであると捉えられます。