漆芸家の若林幸恵さんが展示会に際し、新たな試みとして浦上玉堂のオマージュたる絵付けを施したうつわを出品してくださいました。
はずかしながら玉堂といえばカワイと思い浮かべる僕でしたから、さっそく浦上玉堂の図録をとりあえず一冊手に入れたわけですが、まあ良いこと!
50歳ごろ脱藩し、二人の子供を連れて諸国を渡り歩き、のち京都に定住し終の棲家としました。子供一人は東北のどこか(忘れた)に仕官し、一人は京都でともに暮らしたようです。
絵は基本独学のようですが、重文、国宝になったものもあります。他に詩、琴(七弦琴)、書などを能くし、まさに文人。
現代だと坂口恭平さんなど思い浮かべますが、中国古典に精通した中島敦、漢文漢詩を書いた菅原道真、とともに「文人の系譜」を描きたいものだと思いました。
ところで中国古典(すごいざっくりしたくくりです)を題材にしたものに触れると感じるあのフワァ〜となる恍惚感はなぜ起こるのでしょうか。中島敦の文体、道真の歌、諸星大二郎もありますね。
これらはどれもなんとなく水木しげるを思い起こします。実存として切実な、痛みや悲しみがありつつ、そこに惑溺していないで、ユーモアがある感じです。
そういえばマジメな茶人が多いですからね、そうでなかったらふざけた感じか。結局のところ遊びではあるのですが、実存と深く結びつき、(ていうかTitan2いいです。ポケットやスリムでは長文打つ気になれなかったが、このくらいのサイズ感最高かも。物理キーボード搭載フォン三代目にしてようやく少しその性能を発揮させてあげられた)自分の渦にのまれつつ、自分を突き放したようなユーモアだかアイロニーだかがある、それが茶人にも必要です。
その点、ベートーヴェンは今ひとつわからない部分があり(ユーモアあるんですがそのベクトルとか作用がどこに向かっている感じなのか)、シューベルトのドイチュ番号940f-moll 連弾のファンタジーは川合玉堂の国宝の雪のやつに通じるものがある気がします。
感情のゼロ地点というか、フラットなところにあるものが茶の湯と思うので、安易に茶の湯×音楽みたいなことはしませんが(そもそもお茶ってなんか音楽流れてますよね、色々)、シューベルトが亭主をやるガチの茶事とか参加してみたいなあ。シューベルティアーデ。

















