BLOG店主日記

吉野桃李(萩)

萩の夢幻。

吉野さんのうつわは、一枚の薄いヴェールを被ったように、ふわっとした趣がある。

ふんわりとやさしい色合い。ナリも、エッジを効かせるというよりは、角を落としていくように、柔らかく作られている。そのような作行からうける印象だろうか。

存在としては確かにそこにあるのに、夢幻かのように、空間に浮かんでいる。

焼きものなのに、なぜか、そんな軽やかな存在感をもっている。

萩焼はもともときれいなものを作る伝統があり、吉野さんの作品も、幾分かは、そのような伝統から説明もできるかもしれないが、それにしても。

だから、これは萩焼がもつ可能性の更新でもある。もっといえば焼きものそのものの。

吉野桃李の作品が持つ淡さ。枯淡ではなく、もっとやさしく温かみのある淡さ。

ものとしては全然ちがうけど、後期李朝のような、そんな透明で、寡黙な淡さがある。

この寡黙さは、そのままうつわの大きさでもある。

来るものは拒まず、去るもの追わず。

吉野さんのうつわは何を載せても動じないだろう。そして、載せられたものを一歩引いて眺めるだろう。

毘盧遮那仏が人間を眺めるように、われわれとは生きる時間が違う、そんな気配をもつ作品。

あなたがもし吉野桃李の作品をまだあまり知らなかったら、これらの理解は、徐々に、少しづつ訪れるだろう。

枇杷色の萩は毘盧遮那の夢を見るか?

1965年 福岡に生まれる
1986年 有田窯業大学校卒業
1986年 12代坂高麗左衛門先生に師事
1996年 独立
2000年 渋谷東急百貨店で初個展。以後全国で個展、グループ展開催
2001年 西部工芸展入選(以後7回入選)
2007年 萩陶芸家協会展 萩陶芸家協会賞受賞

坂倉正紘(萩、長門)

山口県長門市三ノ瀬の地で、萩焼の祖・李勺光より350年あまり続く坂倉新兵衛の次期当主。

そのような長い伝統を持つ家を継ぐものとして、坂倉正紘の発する言葉からは次世代の萩を背負う、というごく自然な気概がうかがえる。その重責はしかし、重荷でもなく、あえて反発するものでもなく、ただそういうものとして、受け入れているかのようにみえた。

ただ、坂倉新兵衛という歴史ある名を継いだときに期待されるものと、坂倉正紘という陶芸家の志向には、もしかしたら、いくらかのずれがあるのかもしれない。

萩では伝統的に大道土、見島土、金峯土をつかう。これらが萩焼らしいうつわの特徴をつくるのだが、坂倉正紘さんは窯場の近くで掘った土を混ぜたりする。作品づくりの根底に、土への強い思いがある。御用窯としての伝統を持つ萩には似つかわしくないような、野性味ある土味。土と対話し、土のなりたいものをならせるという、自分の「手」よりも素材の声に重きを置くという作陶態度。(もちろん、ご覧いただけるように、「手」もめっぽうすぐれていることは言うまでもない。)

美しく洗練された形に閉じ込められた荒々しい土の記憶。琥珀に閉じ込められた太古の生物。

萩の、由緒正しき家柄を引き継ぐものとしての矜持。萩という歴史の重み。そのことはきっと十分すぎるほどに認識しながら、しかし坂倉正紘はもっと遠く、あるいは深いところを見つめているように思う。

それは悠久の時間であり、土を生み出した大地の時間の積み重なりであり、そしてそれら隠されたものが露出して姿を表すエロティシズムだ。

土という素材が持つ膨大な情報量とダイナミズムを、火によって揺るぎないかたちに一瞬にして閉じ込めていく。そう、坂倉正紘の作品は、生きる土の姿を、窯という写真によってその一瞬を切り取ったかのようだ。それくらい生々しく、しかし同じくらい静かで固定されている。蠢くものは薄皮一枚隔てて大地の脈動を響かせ、現世に降臨しようとその時を待ち構えている。

1983年
山口県長門市に生まれる
2009年
東京藝術大学及び同大学院彫刻専攻 修了
2011年
京都市伝統産業技術者研修 修了
2017年
明日への扉(CSディスカバリーチャンネル)出演
2019年
ブレイク前夜(BSフジ)出演
2019年
現在形の陶芸萩大賞展Ⅴ 佳作
2020年
初個展(新宿柿傳ギャラリー)

谷穹(信楽)

信楽で作陶されている谷穹さんの工房の隣には、お祖父様が蒐集された古信楽の壺がたくさん収蔵された展示室があります。骨董商を営んでいたとはいえ、個人が集めたとは思えないその量と質は驚くべきもので、公のもの含め、古信楽のコレクションとしては国内でも群を抜いています。そのような優れたコレクションに囲まれて育ったからか、谷さんの古信楽に対する情熱と考察は比類なきものです。

近現代の信楽焼と古信楽は何かが違う。では何が、どのように違うのか。谷穹さんはその違和感に蓋をせず、透徹した眼で観察し、そして実際に窯焚きしながら検証していきます。谷穹さんの作品にあって、なんとなくのフォルム、偶然の窯変というものは、存在しません。谷さんは自身の研究によって、窯変も計算し狙って出せることを体験しているからです。古信楽に関する研究がほとんどされていない状況で、谷穹は独り、古信楽を「正しく」現代にアップデートする作業を行っているのです。

また谷さんといえば壺。

食器や茶道具は、それを使ってはじめて立体化する=活かされるという部分があります。

つまり何かを入れるものとしての「器」は、何かを入れてこそ、使ってこそのもの。

対して、壺というのは、もちろん貯蔵などの実用性が付与されるという側面はありながらも、それはどちらかといえば二次的で、(この反転は歴史的にいつ頃から発生したのか、あるいはもともとそのような感覚を与えるものとしてあり続けたのか)その意味で、壺は「器」であって器ではないと思います。

壺をつくる作家が、壺に魅せられているのも、まずもって壺の持つこのような自立/自律性に孤高の美を見いだすからなのでしょう。


要するに壺は、使うものとの親密な関係性を結ぶことを目的とせず、生活の中にありながら、生活における他者として存在し、わたしたちを眼差している。

壺とわれわれの間には冷厳たる隔たりがあり、それゆえにこそ美しいのだともいえます。だから壺は人が作りだすもののなかで、最も「自然」に近いのではないでしょうか。

壺が魔力や霊力を持つもみなされるのも、他者性をはらむ自然そのものとして、自立しながらわたしたちのそばに現れるからだと思います。

それゆえ、壺は危うくもある。壺は永遠にその本質を表さない謎として存在し続け、壺を語る言葉も、その表面を撫でるだけで、決して本質を掴まえることができない。

壺が「分かる」というのは、もしかしたら禅が「分かる」というのに似ているのかもしれません。不立文字の壺。答えではなく、問いとして表れるかたまり。Q。

谷穹さんの作品は、無益と知りつつも、その謎を解き明かしたくなるような魅力を持っています。

もちろん、言葉は要らず、ただ傍らに置いておくだけで十分なのですが。

1977年 滋賀県信楽出身
2000年 成安造形大学 立体造形クラス卒業
2007年 双胴式穴窯 築窯
2012年 穴窯 築窯

山口千絵(螺鈿、漆芸)

螺鈿でつくる祈りのかたち。

子供の手のひらに収まるくらい小さなほとけさま。山口さんは小さなものがお好きなのです。

円空仏が好きで、螺鈿が好きで、ならば、と螺鈿でほとけさまを作りはじめたという。

漆工、螺鈿というとても地味で手間のかかる作業(おまけに材料も高い)。それでも作り続けるのは、想いと願いがまっすぐに強いからでしょう。

山口さんの拵えるほとけさまは、どれも、かわいい。とってもちいさい。単純な線でデフォルメされたかたちと顔。

しかし不思議とゆるくはない。

なぜか。それは、線のまったくの確かさであり、かわいさがそのまま尊さと結びついているからです。

愛らしいものを作り上げるという行為のうちに、切実な祈りがこめられていると感じます。自身の根っこの部分で、自分が生きていくうえで必要不可欠な存在として、そのかわいさが、ものとして具現化されている。だからこそ、愛らしさ、可愛さのなかに芯のある重みがある。そして〈可愛さ・即・尊さ〉を担保するものとして、単純だけれども揺るぎない削ぎ落とされた線の存在がある。

これだけ単純化された線のうちに、これだけの表情や情感、情景、匂い、空気感、それらが鮮明に息づいている。つまりゆるくないのは当然で、むしろこの線は、これ以上足しても引いても全体が崩れてしまうような、緊張感のあるバランスの上に成立している。

こうした線の研ぎ澄ましはしかし、線の巧みさから生み出されるモチーフの可愛さ、表情の可愛さによって、見るものに不要な緊張感などは与えない。実に心地よいリズムが形成されている。大きく派手に壁に掛ける絵画ではなく、ごく小さなスペースがあれば飾れてしまう美術品として、強度を持っている。

なにか一心不乱に、鬼気迫る形相の仏を彫る。それもまた一つの切実な祈りではありましょうが、この、何気ない掌篇の美における、確かな、やさしい祈りの形にも、同等の気魄が満ちていることは見過ごし得ないでしょう。

国家護持の仏でなく、野辺の仏。

民草のささやかな願いを受け止める仏。

わたしたちの暮らしを静かに見守る仏。このかわいさそのものがまさにご利益であるかのように。

山口千絵

1988年奈良県生まれ。

2011年京都精華大学プロダクトデザイン学科卒業

京都の家具製作所にて木工の修行の後、漆教室に通いながら螺鈿の制作を始める。

竹下鹿丸(陶、益子)

辺境の南蛮。辺境の白磁。

益子の土は焼締めにはあまり適してないという。だが、鹿丸さんは、益子とその周辺の土で、焼締めのうつわをつくっている。

それだけ聞くと酔狂にも思えるが、作品を見てみると、説得力がある。複雑な窯変は、しかしギラついていなく、静けさがある。それでいて、食欲が湧いてきて、料理を盛り付けたイメージが膨らんでくる。使い手をそんなふうに触発してくれる実際的な作用を持つ。

合計6日間にも及ぶ窯焚き。その間、うつわを熾に完全に埋め、熾を減らして火に当て、また熾に埋めるというのを3回繰り返す。薪も、様々な種類の木を使い分ける。どの薪をどんなタイミングで入れるか、それによって窯変をコントロールもする。

そうした多大な労力と緻密な計算により、鹿丸さん独特の焼き上がりが完成する。

鹿丸さんは焼きものの一大産地としての益子には特別な思い入れはない。同時に他の産地の焼締めや古作に憧れているわけでもない。けれども自分の作品における理想は確固として持っている。

益子で、その土地の土で焼締めや白磁をやるというのは異質であり、だからこそ、そこに鹿丸さんの核心があるように思う。というか、益子という土地と、良い具合の〈距離感〉で付き合うことができている鹿丸さんの生き方(作品づくり)は、わたしたち作品の受け取り手からみれば、恩寵のようにさえ感じられる。

益子という土地(土)なくして鹿丸さんの作品は存在しない。しかし、益子という土地に「へばりついている」というわけではない。益子焼という伝統の枠外で、しかし、確かに益子でしか出来ない作品を作っている。

1977年 益子町生まれ
1996年 茂木高校卒業
1998年 県立窯業指導所卒業
2000年 穴窯を築く
2002年 第4回益子陶芸展で審査員特別賞受賞
2005年 益子陶芸美術館で竹下鹿丸展開催
2006年 第6回益子陶芸展入選